日本におけるブルートレイン(英語: Blue Train)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)およびその後身のJRグループによって運行されていた、客車を使用した寝台列車を指す愛称である。ただし、これは「列車愛称」とは異なり、運行する車輛の色が青であったことを由来とする包括的な列車の通称である。ブルトレとも略称される。
一般には、国鉄時代の1958年(昭和33年)に登場した20系客車(以後「20系」と略す)以降の、青い車体色[注釈 1]で特徴付けられた固定編成専用寝台客車を使用した特急列車を指す。その創始は、同年10月1日のダイヤ改正で車両が旧形のものから20系に置き換えられた「あさかぜ」である。老朽化や新幹線・飛行機、高速バス、ビジネスホテルの普及による需要の低下でコストを賄えない採算性の悪化で続々廃止になり、2015年(平成27年)をもってブルートレインは全廃となった[1]。 「あさかぜ」以降の20系、14系14形・15形寝台車、24系24形・25形で編成される寝台列車がこの名で呼ばれる。狭義では、それらの中でも寝台特急列車のみを指すこともある。しかし、座席車が半数以上連結される列車でも広義の意味で「ブルートレイン」と称される事例も見られた。北海道では、1982年(昭和57年)11月15日のダイヤ改正から在来形客車(43系座席車と10系寝台車など[注釈 2])の代替車両として14系500番台客車が用いられた時期があり、当時の夜行急行列車である「利尻」[注釈 3][注釈 4]・「まりも」[注釈 5]・「大雪」[注釈 6]も「ブルートレイン」と称された。 逆に、寝台列車ではあっても、電車である581系・583系を使用した「ゆうづる」・「はくつる」や「月光」[注釈 7]・「きりしま」[注釈 8]・「明星」[注釈 9]・「彗星」・「なは」・「金星」は、「ブルートレイン」と称さなかった。 このため、285系電車へ移行した「サンライズ出雲」・「サンライズ瀬戸」や、かつて気動車に寝台客車を併結する形で運行していた「利尻」・「おおぞら13-14号」→「まりも」なども、同様にブルートレインと称していない。 昼行列車では、20系客車が登場した1958年(昭和33年)から運行開始した上野駅 - 青森駅間の昼行特急列車「はつかり」の車両に、20系と同様の青を基調とした車体色が用いられた。しかし、「はつかり」は1960年(昭和35年)12月10日のダイヤ改正から気動車(キハ81系)で運行されるようになり、これ以降、客車による昼行特急が定期列車に設定されることはなかったため、客車で運行される昼行特急列車を「ブルートレイン」と呼ぶ習慣は成立しなかった。 ただし、1970年代以降臨時列車で運行された「つばさ51号」など、12系・14系座席車を用いた昼行特急列車を「ブルートレイン」と紹介する例もあるが、一般的ではない。 2007年(平成19年)11月現在、『ブルートレイン』の商標権はイトーキ、タカラトミー、東日本旅客鉄道(JR東日本)[注釈 10]、サンリオ、コナミデジタルエンタテインメント、小杉産業が保有している。 ブルートレインブームの際、ヘッドマークをあしらった商品が各社から多数発売されたが、これらの商品について国鉄の監修ならびに使用料などの関わりは一切ない。これは、公共企業体であった国鉄が商標権を保有できなかった間隙を突いたものであり[注釈 11]、現在においても国鉄時代にデザインされた車両やヘッドマークは日本国民の共有財産であり、現在のJRグループ各社に独占的権利はない。ただし、「はやぶさ」のヘッドマークはJR東日本[注釈 12]、「富士」のヘッドマークは九州旅客鉄道(JR九州)[注釈 13]がそれぞれ商標権を取得している。 1956年に東京駅 - 博多駅間で運行を開始した「あさかぜ」は、京阪神を深夜に通過するダイヤ設定で関西からの反発はあったものの、乗車率は好調であった[2]。しかし、現行のA寝台に相当する二等寝台車として、戦前製造のツーリスト式寝台車を使用したり、列車によっては、急行列車に用いられる車両を使用したため、特急列車に見合う車両が求められるようになった。 そのために設計・製造された車両が20系客車である。詳細は、車両の項に譲るが、日本の客車としては初となる「固定編成」の考えに基づき、初めて全車両に空調設備を設け、食堂車で電気コンロを調理に用いるなど、編成内のすべてのサービス電源を編成端の電源車で賄う「完全電化」された車両となった。当初は東海道区間における座席需要も多かったため、寝台車の他に座席車も連結していた。
概要
ブルートレインの商標権
沿革
国鉄20系客車の登場と名称の起こり日本のブルートレインの元祖国鉄20系客車 ナハネフ22 1
鎌倉総合車両センターにて2004年撮影(※現在は鉄道博物館にて保存・展示の車両)。