ブルートレイン_(日本)
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2007年(平成19年)11月現在、『ブルートレイン』の商標権はイトーキタカラトミー東日本旅客鉄道(JR東日本)[注釈 10]サンリオコナミデジタルエンタテインメント小杉産業が保有している。

ブルートレインブームの際、ヘッドマークをあしらった商品が各社から多数発売されたが、これらの商品について国鉄の監修ならびに使用料などの関わりは一切ない。これは、公共企業体であった国鉄が商標権を保有できなかった間隙を突いたものであり[注釈 11]、現在においても国鉄時代にデザインされた車両やヘッドマークは日本国民の共有財産であり、現在のJRグループ各社に独占的権利はない。ただし、「はやぶさ」のヘッドマークはJR東日本[注釈 12]、「富士」のヘッドマークは九州旅客鉄道(JR九州)[注釈 13]がそれぞれ商標権を取得している。
沿革
国鉄20系客車の登場と名称の起こり日本のブルートレインの元祖国鉄20系客車 ナハネフ22 1
鎌倉総合車両センターにて2004年撮影(※現在は鉄道博物館にて保存・展示の車両)。

1956年東京駅 - 博多駅間で運行を開始した「あさかぜ」は、京阪神を深夜に通過するダイヤ設定で関西からの反発はあったものの、乗車率は好調であった[2]。しかし、現行のA寝台に相当する二等寝台車として、戦前製造のツーリスト式寝台車を使用したり、列車によっては、急行列車に用いられる車両を使用したため、特急列車に見合う車両が求められるようになった。

そのために設計・製造された車両が20系客車である。詳細は、車両の項に譲るが、日本の客車としては初となる「固定編成」の考えに基づき、初めて全車両に空調設備を設け、食堂車で電気コンロを調理に用いるなど、編成内のすべてのサービス電源を編成端の電源車で賄う「完全電化」された車両となった。当初は東海道区間における座席需要も多かったため、寝台車の他に座席車も連結していた。

また、塗色は、同じ1958年に登場した昼行特急列車用の電車である20系電車(のちに称号改正で151系電車→181系)が、クリーム(クリーム4号)と赤(赤2号)の明るい塗色を採用したのに対し、ヨーロッパの寝台車に多く用いられていた青(青15号)が選ばれ、屋根以外を青色にし、クリーム(クリーム1号)の細いラインを車両側面の上部・中央・下部の3か所に入れたものとした。

当初20系は、(東京対)九州方面の寝台特急列車のみに充当されたため、この車両を用いた列車は「九州特急」などと呼ばれ、その車両は固定編成客車と呼ばれた。しかし1964年からは、東京から北へ向かう「はくつる」に充当されるようになったことから、「九州特急」の呼称は不適切なものになった。また、1964年の東海道新幹線開業後は20系の座席車も寝台車に次々と置き換えられ、全車寝台化が図られていった。

1965年頃からは、趣味誌において「ブルー・トレーン」という表現が使われ始めている[3]。国鉄文書での最初の使用は、PR誌『国鉄通信』1966年8月22日号である[4]が、国鉄関係者執筆の文書による使用は『運転協会誌』1966年8月号で既に使われている[5]
ニューブルートレインの登場

1970年日本万国博覧会(いわゆる「大阪万博」)の開催に伴う輸送力確保のため、座席車として12系が製造される。この車両は、室内の冷暖房用として大容量のディーゼル発電機が採用されたが、臨時列車や団体専用列車に充当される前提のため、編成中の緩急車から供給する分散電源方式となった。また当時、既に20系以外の一部客車の塗色にも青15号の車両が存在したことへの差別化と、新幹線連絡のイメージから、車体色には0系電車と同じ、より鮮やかな青(青20号)の地色に、アイボリーホワイト(クリーム10号)の2条の帯が採用された。

この12系の設計をもとに新製された寝台車である14系は、20系車両までのB寝台の寝台幅52cmを踏襲せず、581・583系の寝台幅に合わせ、70cmが採用された。これにより20系との差別化が図られ、登場当時は"ニューブルートレイン"とも称された。外観も12系の塗色が引き継がれ、青20号にクリーム10号の帯2条となった。

以降、20系と同じく集中電源方式を採用した24系も、14系と同様の設計で製造される。またB寝台が2段化された24系25形、14系15形では、塗色は単に青1色となるが、白帯(クリーム10号)の替わりにステンレス製の帯が巻かれ、保守の面では一層の省力化が図られる。なお初期の14系と24系も、24系25形や14系15形と同様に2段式寝台に改修が行われるが、寝台の変更のみで更衣室が残るなどの差違が見られるものの、運用面での差違は(特にJRになってからは)少なくなっている。

この14系と24系は、車両構造においてサービス電源の方式以外は設計上類似した部分が多いことから、1980年代半ば以降より個室寝台などに改造を行うにあたり、14系と24系との間で車種変更が行われる事例が頻繁に見られるようになった。
ブルートレインの転換期

これら"ニューブルートレイン"が登場した1970年代、とりわけ後半から、国鉄の運賃・料金の値上げと航空機新幹線高速バスの普及などによる寝台列車自体の衰退が始まっており、国鉄が、居住性を改善した新形式車の周知を図るため、「星の寝台特急」と称したPR作戦を行った。

例えば、1974年4月の24系25形寝台車登場以降、B寝台に設備について扉上部に星の数で表記を行った。

B寝台の区分表示寝台内容該当車両
★3段式寝台客車20系客車
未改修の14・24系寝台客車
★★3段式寝台電車581・583系
★★★2段式寝台客車新製車両としては14系15形・24系25形が該当
14・24系でも2段式に改修された車両
★★★★4人個室寝台
「カルテット」
(1984年登場)オハネ14形700番台、オハネ24形700番台
寝台特急「はやぶさ」のテールマーク/左端に「流れ星」のマークが用いられている。ブルートレインのヘッドマーク
Blue train フェスティバル(品川駅)

また、このキャンペーンによって、寝台専用列車を表す「流れ星」のマークが登場している。編成最後部でも方向幕を採用した14・24系では、1979年7月頃より"テールマーク"として図案化し、列車毎に使用することで差別化を図った。

この施策は、ほぼ同時期に種別・列車名幕を設置した電車による昼行列車で採用された、「絵入りヘッドマーク」と並行して行われた。これは、従来は牽引する機関車や最後部車両にヘッドマークを取り付けていたが、このヘッドマークの取り付けが、東海道・山陽本線区間を牽引する電気機関車群を除き、保守の省力化に伴い1970年代までに事実上廃止されていたため@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}[注釈 14]、これを簡易的な形ではあるが復活させる意味合いもあったとされる[要出典]。このため、寝台特急列車のうち「安芸」「いなば」は、ヘッドマークも絵入りテールマークも設定されなかった。この図案化したテールマークはおおむね好評だったことから、定期列車として運用されていた20系客車でも用いられた事例もある。

しかし1975年3月の山陽新幹線博多開業1976年11月の国鉄運賃・料金の大幅な値上げ、国鉄の赤字拡大によるサービスの簡略化はブルートレインの乗客を大幅に減らし、1978年10月改正1980年10月改正では乗客減の為主に関西 - 九州間列車を中心に多くのブルートレインが廃止され、積極的なテコ入れ策もないまま国鉄末期を迎えようとしていた。

なお、全車寝台車の急行列車は走行距離が600km以内と比較的短く、多くは東北上越新幹線の開業で存在価値を失ったこともあって、比較的安定した需要のあった東海道本線を運行していた「銀河」を除き、JR移行前に全廃された。
ブルートレインブーム

ブルトレブームがマスコミで騒がれ始めたのが1978年頃であったが、それ以前からブルートレインを鉄道雑誌の特集で取り上げると爆発的に売れることが多く、鉄道ファンには根強い人気があった[6]


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