19世紀後半ごろに米国深南部で黒人霊歌、フィールドハラー(労働歌)などから発展したものと言われている[12]。
1903年、ミシシッピ州のデルタ地帯を旅行中だった黒人中産階級のW・C・ハンディ(英語版)が、同州タトワイラーで黒人によるブルースの生演奏に遭遇した。この後、彼は楽曲を楽譜にして発表し、ブルースは世間に知られることになった。だが、ハンディはブルースを楽譜におこしただけであり、ブルースの父とすることには批判が多い。この年をブルースの生誕の年とする見方もあり、2003年はブルース生誕100年を記念してアメリカ合衆国議会により、「ブルースの年」と宣言された[13]。
1920年、メイミー・スミスがオーケー・レーベルに初レコーディング。これがブルースのレコーディングとしては初と言われている。彼女のCrazy Bluesは、初年度75,000枚を売り上げるヒットを記録した[14]。また現在、知名度の高い戦前のブルース・シンガーはロバート・ジョンソン[15]だが、当時はチャーリー・パットンの方が、黒人の間での人気が高かった。
戦前のアメリカにおいて、ブルースは米国深南部からセントルイス、シカゴ、ニューヨークなどへ北上し、各地でスタイルを変えながら発展した。元々ギターの弾き語り中心であったが、都市部に展開するにつれ、ピアノとギターのデュオ形式、バンド形式など、より都会的な洗練された形式へと変わって行った。都市部で展開されたブルースのスタイルをシティ・ブルースという。代表的なミュージシャンは、リロイ・カーなど。しかし都会にあこがれる反面、故郷への想いが強く詩に影響を与えている歌が多い。[14]
シカゴでは、1950年ごろからエレクトリックのバンドによるブルースが登場した。デルタ・ブルースを基調とした泥臭いサウンドで、戦前のシティ・ブルースとは一線を画すものであった。このサウンドはシカゴ・ブルースと呼ばれるようになった。その代表格となるのが、マディ・ウォーターズである。ロックンロールの巨匠、チャック・ベリーもこの頃のブルースに大きく影響を受け、後のロックバンドにも受け継がれているといえる。[16]
1950年代前半にはメンフィスからデビューしていたB.B.キングがモダン・ブルースを確立。 モダンブルースは、よりダウンホームなデルタ・ブルース?シカゴ・ブルースより、テキサス・ブルース及びジャンプ・ブルース等に影響された管楽器を含む洗練されたバンド・サウンドを基調とし、エレキ・ギターによるダイナミックなチョーキングを核にしたスクイーズ・ギターとゴスペルの唱法を持ち込んだ歌を特徴とする[17]。 B.B.が切り開いたモダン・ブルースの影響はシカゴにも及び、当時のシカゴの若手ブルースマン達にも影響を与えた。 このモダン・ブルースに影響を受けたシカゴの若手ブルース・マン達(オーティス・ラッシュ、マジック・サム、バディ・ガイ等)の音楽をモダン・シカゴ・ブルースと呼ぶ。[18]
1960年代には、イギリスにアメリカから多くのブルースのレコードが輸入され、同国でブルース・ロックのブームが起きた。その流れの中で、ローリング・ストーンズ、フリートウッド・マック、クリーム、アニマルズなど、ブルースに影響を受けたバンドが多く登場し、ブルース・ロックが隆盛となった[19]。
代表的なブルース・アーティスト
戦前ブルース(デルタ、カントリー・ブルース)
ジェシー・フラー
チャーリー・パットン[20]
ブッカ・ホワイト
ブラインド・レモン・ジェファーソン[21]
ブラインド・ブレイク[22]
ブラインド・ウィリー・マクテル
ブラインド・ウィリー・ジョンソン(ゴスペル・ブルース)
ベッシー・スミス
レッドベリー
ロバート・ジョンソン
シカゴ・ブルースバディ・ガイ
アイク・ターナー
アルバート・キング
アール・フッカー
ウィリー・ディクソン
エルモア・ジェームス
オーティス・スパン
オーティス・ラッシュ
サニー・ボーイ・ウィリアムスンII
J.B.ルノア
ジミー・リード
ジョン・リー・フッカー
ハウリン・ウルフ
ハウンド・ドッグ・テイラー
バディ・ガイ
ヒューバート・サムリン
フェントン・ロビンソン
マジック・サム
マディ・ウォーターズ
マット・マーフィー
リトル・ウォルター