ブルース・ウィリス
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この作品はシリーズの5作目である[26]

2010年代初頭からは、オリジナルビデオ作品(小規模な形での限定公開や、日本では劇場公開されたものもある)に15分程の出演時間で数多く出演するようになった。

2015年にはセリフが覚えられずウディ・アレン監督作品を降板したと報じられた[27]
2020年代

2010年代中盤以降も劇場公開された出演作は『デス・ウィッシュ』や『ミスター・ガラス』などメジャー作品や2021年に劇場限定公開された『ミッドナイト・キラー』などわずか数本に留まり、大半の作品がオリジナルビデオでの発表であった。

そのほぼ全ての作品が批評家、観客の双方から不評を買ったため、2022年2月7日にノミネート発表された第42回ゴールデンラズベリー賞(通称・ラジー賞)にて『ブルース・ウィリスが2021年に見せた最低演技部門』が新設されることになり、2021年にアメリカ国内で公開されたウィリスの出演作計8本が同賞にノミネートされた[28]。受賞作は『コズミック・シン[29]

しかし、後述するようにラジー賞授賞式から3日後の3月30日、ウィリスが失語症を患っていることを家族が公表したことを受け、ラジー賞の主催団体はこの部門自体の撤回を発表した[30]
俳優引退・失語症

2022年3月30日、ブルースの娘で女優のルーマー・ウィリスが、自らのInstagramに父・ブルースの写真を掲載するとともに、ブルースが失語症のため俳優を引退することを発表した[31]。『Fortress: Sniper's Eye(英語版)』など公開待機中だった出演作8本を残したままでの引退となった。また、ウィリスのライフワークであり、第6作目制作の可能性を探っていた『ダイ・ハード』シリーズも全5作で事実上終了となった[32]。引退にあたりシルヴェスター・スタローンジョン・トラボルタ他俳優仲間や共演者、映画監督らがねぎらいの言葉、そしてこれからのサポートを申し出た[33]

引退から約1年後の2023年2月中旬に、「失語症診断を発表してからも病状は進行しており、前頭側頭型の認知症と診断された」と家族より発表された[34][35]
事業活動

ロサンゼルスに不動産を所有し、ニューヨーク市のトランプ・タワーの一室を借りている[36]。また、マリブの家、モンタナ州の牧場、タークス・カイコス諸島のパロット・キーにある海岸の家が有名である。

2000年に、ビジネス・パートナーのアーノルド・リフキンと共にシャイアン・エンタープレスと呼ばれる映画制作会社を始めた。彼は、『ダイ・ハード4.0』の後に会社を去り、リフキンに任せている[37]。他にも、ヘイリーでいくつかの小さな事業を行っている。その中には、ミント・バーやリバティ・シアター、俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーシルヴェスター・スタローンと共同経営のプラネット・ハリウッドが含まれている[38]。2009年、フランスの会社ベルヴェイダーのソビエスキー・ウォッカの3.3%の所有権と引き換えに、この会社の国際的キャラクターになった[39]
私生活
結婚と家族1989年、第61回アカデミー賞でのデミ・ムーアとブルース・ウィリス

映画『張り込み』のプレミアで、女優のデミ・ムーアと出会う。2人は1987年11月21日に結婚し、ルーマー・ウィリス(1988年8月16日生)、スカウト・ラルー・ウィリス(1991年7月20日生)、タルーラ・ベル・ウィリス(1994年2月3日生)の3人の娘をもうけた。その後、ブルース・ウィリスとデミ・ムーアは2000年に離婚。2人の離婚の理由についてウィリスは、「自分が父親や夫としての役割を果たしていなかった」と述べている。デミ・ムーアは2005年にアシュトン・カッチャーと再婚し、ウィリスも2人の結婚式に出席した。その後、デミ・ムーアとアシュトン・カッチャーは2012年12月に離婚した。

2009年3月21日にタークス・カイコス諸島でエマ・ヘミングと再婚。デミ・ムーアとアシュトン・カッチャー、3人の娘もゲストとして招かれた。しかし、この式典は公式なものではないため、6日後にビバリーヒルズで正式に結婚式を挙げた。2012年に娘が生まれ、マーベル・レイ・ウィリスと名付けている[40]

なお、三女のタルーラは親によって更に構築された家族関係や先にも述べたブルースの病気から発生した態度により思春期であったこともあり、かなり複雑な時代を過ごしていたという[41]
軍隊との関係

ウィリスは『マーシャル・ロー』や『ジャスティス』、『ティアーズ・オブ・ザ・サン』、『グラインドハウス』といった映画で軍人を演じている。軍人の家で育ったウィリスはアメリカ軍のためにガール・スカウト・クッキーの販売に公式に協力している。2002年、ウィリスの末娘タルーラは、ウィリスが軍隊に送るためにクッキーを購入したという趣旨の発言をした。ウィリスは12,000箱のクッキーを購入しそれらは空母ジョン・F・ケネディに贈られ、そこから中東全域の部隊に配布された。また2003年、ウィリスはUSOのツアーの一環としてイラクを訪れ、彼のバンド「The Accelerators」と共に歌を歌った。
日本に関すること

日本ではCMに出演。1991年にNTTドコモのムーバ(アナログムーバ)の初代イメージキャラクターや、三貴の「じゅわいよ・くちゅーるマキ」のイメージキャラクター、スバル・レガシィの初代イメージキャラクターに起用された。2005年に同車が累計生産台数300万台を突破した際にはイメージキャラクターに再起用され(4代目)、「レガシィを祝福するために、ブルースが帰ってきた」とのキャッチコピーが添えられた。古くは『ダイ・ハード』の屋上ジャンプシーンを連想させるキリンポストウォーターのCM(デミ・ムーアが共演)に出演し、2000年には日本コカ・コーラの缶コーヒージョージアのCMに半年間出演した(吹き替えは樋浦勉)。『アルマゲドン』のヒット時にはENEOS(当時の社名は日石三菱)のCMにも出演していた(吹き替えは大塚芳忠)。2011年にはダイハツ・ミライースのCM(本CMに出演している綿引勝彦がブルースの声を吹き替えるシーンがある)、2014年には興和のコーワパワードコーヒーのCMにそれぞれ出演した。2020年にはソフトバンクのCMに出演し、ドラえもんに扮した[42][43](吹き替えは藤岡弘、[42] )。

ウィリスのものまねタレントであるプチ・ブルースが活動している。
出演作品
映画

年代題名役名備考吹き替え
1980第一の大罪

The First Deadly Sinダイナーに入ってくる男クレジットなし

A Guru Comesエキストラテレビ映画、クレジットなしN/A
1982評決
The Verdict傍聴人クレジットなしTBA
1987ブラインド・デート


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