その後、シビル・シェパード主演『こちらブルームーン探偵社』(1985年 - 89年)のデビッド・アディスン・ジュニア役のオーディションを受けて3000人の候補者の中から選ばれた[12]。このシリーズはシーズン5まで続き、彼はコメディ役者としての地位を確立する[8]。
1987年、ブレイク・エドワーズの作品『ブラインド・デート』でキム・ベイシンガー、ジョン・ラロケット[8] と共演する。エドワーズ監督は『キャデラック・カウボーイ』(1988年)でウィリスを再び起用する。このとき彼は実在のカウボーイ、トム・ミックス役だった。
さらに、その後『ダイ・ハード』(1988年)に出演し、彼が予期しなかったほどのスターとなる[8]。この映画の中ではほとんどスタントなし[13] で演じた。世界興行収入は140,767,956ドルを記録した[14]。ちなみに1980年代後半にウィリスは歌手、レコーディング・ミュージシャンとしても、ある程度の成功をおさめた。 『ダイ・ハード』のジョン・マクレーン役で成功したウィリスは続編である『ダイ・ハード2』(1990年)と『ダイ・ハード3』(1995年)にも出演した[8]。この『ダイ・ハード』3部作は全世界で7億ドルを超える興行収入を得て、ウィリスはハリウッドの人気スターになった。 1990年代、ウィリスは『虚栄のかがり火』や『ハドソン・ホーク』といった主演映画の赤字に苦しんだ。他にも『薔薇の素顔』は批評家たちに酷評されたが高評価も受け、この映画は1995年のアメリカで最もレンタルされている映画トップ20にランクインした。1994年、彼はクエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』で絶賛される。これが新たな弾みとなり、1996年のカートゥーン 『Bruno the Kid』でエグゼクティブ・プロデューサーを務め、自らをCGIで表現した[15]。 『12モンキーズ』(1995年)と『フィフス・エレメント』では世界を救う男を演じた。90年代後半には『ジャッカル』や『マーキュリー・ライジング』、『ブレックファースト・オブ・チャンピオンズ』に出演するもさほど評判にはならなかった。1998年のマイケル・ベイ監督作品『アルマゲドン』は世界的に大ヒットし、同年、プレイステーションのゲーム『アポカリプス
1990年代
2000年代2002年のウィリス
2000年、ウィリスは『フレンズ』への出演によってエミー賞[17] ゲスト男優賞コメディ部門を受賞した(彼はこのドラマの中でロス・ゲラーのはるか年下のガールフレンドの父親を演じた)[18]。2001年にも『フレンズ』でアメリカンコメディ賞(シリーズにおかしな男の役でゲスト出演した)にノミネートされた。そして2000年に『隣のヒットマン』にジミー・“チューリップ”・チュデスキ役で出演し、マシュー・ペリーと共演した。
また、『オーシャンズ11』(2001年)にテリー・ベネディクト役で出演予定だったがアルバムのレコーディングのために断った[19]。その後『オーシャンズ12』(2004年)に本人役でカメオ出演を果たしている。2007年、『グラインドハウス』の『プラネット・テラー in グラインドハウス』にヴィランのミュータント兵士役で出演した。ウィリスはこの作品で『シン・シティ』に続きロバート・ロドリゲス監督とタッグを組んだ。