ブルース・ウィリス
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1998年アルマゲドン』『マーシャル・ロー』『マーキュリー・ライジング
最低脚本賞
1991年ハドソン・ホーク
その他の賞

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ブルース・ウィリス(: Bruce Willis)ことウォルター・ブルース・ウィリス(英: Walter Bruce Willis, 1955年3月19日 - )は、アメリカ合衆国の元俳優、元プロデューサー

彼のキャリアは1980年代から始まり、それ以来コメディ、ドラマ、アクションといったジャンルで、テレビと映画の両方で活躍している。『ダイ・ハード』シリーズの主人公ジョン・マクレーン役で人気映画スターとして名を広める[2]

他にも60作品以上に出演し、『パルプ・フィクション』(1994年)、『12モンキーズ』(1995年)、『フィフス・エレメント』(1997年)、『アルマゲドン』(1998年)、『シックス・センス』(1999年)、『アンブレイカブル』(2000年)、『シン・シティ』(2005年)、『森のリトル・ギャング』(2006年)、『RED/レッド』(2010年)のように興行的成功を収めた作品も多い。

2度エミー賞ゴールデングローブ賞を受賞し、4度サターン賞にノミネートされた。ブルース・ウィリスは演技の手本として、ゲイリー・クーパーロバート・デ・ニーロスティーブ・マックイーンジョン・ウェインの名を上げている[3]
生い立ち
幼少期

1955年、ウィリスは西ドイツイダー=オーバーシュタインで生まれる。彼の母親マレーネはドイツ人であり、カッセル近郊のカウフンゲンの出身。父親のデヴィッド・ウィリスはアメリカ人兵士で、アイダホ州南東部のイングランド系の家庭に生まれた[4][5][6]

父親はイングランドのほかにオランダフランスウェールズアイルランドの血を引いている。ウィリスは4人目の子供であり、姉・フィレンツェ、長兄・デイヴィッド、そして2001年に42歳で膵癌によって死去した次兄・ロバートがいた[7]

ウィリスの父親は1957年に除隊すると、家族を連れてニュージャージー州のカーニーズ・ポイントに引っ越した[8]。母親は銀行で働き、父親は溶接工のマスター・メカニックと工場労働者になった。
少年時代

ウィリスはペンス・グローヴ高等学校に通った。彼はここで吃音に悩まされる。だがステージの上で自分自身を表現すると吃音はすぐに消えた。ウィリスはその後もステージで演じ続け、高校では演劇部に所属、生徒会長も務めた。

高校卒業後、ウィリスはセイラム原子力発電所[9][10] で警備員として働いた。他にもディープウォーターのデュポンで輸送業者や工場労働もした[10]
俳優の道へ

私立探偵として働いた後(のちに彼はテレビシリーズ『こちらブルームーン探偵社』と1991年の映画『ラスト・ボーイスカウト』で私立探偵役を演じる)、俳優として活動した。モントクレア州立大学の演劇部に入り、クラスで戯曲『熱いトタン屋根の猫』を演じた。ウィリスは3年生で大学を中退するとニューヨーク市に移り住んだ[5]

いくつかのオーディションを受けた後、オフ・ブロードウェイの Heaven and Earth でデビューを果たす。彼は Fool for Love によく出演して経験を積んだ上、リーバイスのコマーシャルにも出演した。
キャリア
キャリアの始まり1989年、第61回アカデミー賞でのウィリス

オーディションを受けるため、ウィリスはニューヨークを離れてカリフォルニアに渡った[5]。1984年、テレビシリーズ『特捜刑事マイアミ・バイス』の「地対空ミサイル強奪!武器密輸ルートを追え」に出演した[11]

その後、シビル・シェパード主演『こちらブルームーン探偵社』(1985年 - 89年)のデビッド・アディスン・ジュニア役のオーディションを受けて3000人の候補者の中から選ばれた[12]。このシリーズはシーズン5まで続き、彼はコメディ役者としての地位を確立する[8]

1987年、ブレイク・エドワーズの作品『ブラインド・デート』でキム・ベイシンガージョン・ラロケット[8] と共演する。エドワーズ監督は『キャデラック・カウボーイ』(1988年)でウィリスを再び起用する。このとき彼は実在のカウボーイ、トム・ミックス役だった。

さらに、その後『ダイ・ハード』(1988年)に出演し、彼が予期しなかったほどのスターとなる[8]。この映画の中ではほとんどスタントなし[13] で演じた。世界興行収入は140,767,956ドルを記録した[14]。ちなみに1980年代後半にウィリスは歌手、レコーディング・ミュージシャンとしても、ある程度の成功をおさめた。
1990年代

ダイ・ハード』のジョン・マクレーン役で成功したウィリスは続編である『ダイ・ハード2』(1990年)と『ダイ・ハード3』(1995年)にも出演した[8]。この『ダイ・ハード』3部作は全世界で7億ドルを超える興行収入を得て、ウィリスはハリウッドの人気スターになった。

1990年代、ウィリスは『虚栄のかがり火』や『ハドソン・ホーク』といった主演映画の赤字に苦しんだ。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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