ブルックリン区
[Wikipedia|▼Menu]

フラットランズ: 1647年、オランダの地名アメルスフォールトからニューアメルスフォールトとして開拓。

フラットブッシュ: 1652年、ミッドウォートとして開拓。

ニューユトレヒト: 1657年、オランダの地名ユトレヒトから取り開拓。

ブッシュウィック: 1661年、ボズウィックとして開拓。

イングランドの統治

1664年、第二次英蘭戦争によりニューネーデルラントがイングランドによって征服されるとロングアイランド西部はイングランドの支配下に置かれた。同戦争で活躍した海軍の指揮官を務めたヨーク公(後のジェームズ2世)を称えニューネーデルラントはニューヨークと名を変え、現在のブルックリンを含むロングアイランドはニューヨーク植民地の管轄化に置かれた。

1683年11月1日、イングランドはロングアイランド最西部の南端に置かれた上記の6つの街をキングス郡として統一した。この頃のニューヨーク植民地は12の郡を内包しておりキングスはその一つとなった。これが現在のブルックリン地域初めての地方行政の誕生であり、後の同地区の行政的アイデンティティも形成することとなった。

ペトルーンと呼ばれる領主的権限を持つ大地主や小作農民が同地にはいなかったことから13植民地の中でも同地区の奴隷の使用は盛んであった。
アメリカ独立戦争

1776年8月27日、ロングアイランドの戦い(別名ブルックリンの戦い)が行われる。この戦いは植民地側が独立を宣言した後に行われた最初の戦闘であり、またこの独立戦争最大規模の戦闘になった。イギリス軍はジョージ・ワシントン率いる大陸軍を現在のグリーンウッド墓地、プロスペクト・パーク、グランド・アーミー・プラザまで後退させた。要塞化されていたブルックリン・ハイツもニューヨーク港を征服しているイギリスの攻撃に持ちこたえることが出来ず、数日後に大陸軍は撤退。現在のアトランティック・アヴェニュー西方にある丘ゴワナス・クリークで激しい戦闘を繰り広げ唯一の優勢を保っていたワシントンであったが、ロングアイランドの戦いにおいて多くの犠牲を出したことから「我々は今日多くの勇敢な兵士を失ってしまった」と悲観的声明を発表した。1776年8月ロングアイランドの戦い

この戦いで惨敗を喫してしまったワシントンは指揮官としての資質を問われることもあったが、僅か一日で全兵士をイーストリバーを越えて撤退させたことは多くの歴史家によって高く評価されている。

ブルックリンを含むロングアイランドはほぼ全てがイギリスの指揮下に置かれ、現在のニューヨーク市地域は瞬く間にイギリスの北米指揮の本拠地となった。イギリスとのビジネス関係からキングスにはイギリス支持派のロイヤリストがおり、彼らは大陸軍と共に撤退や避難はしなかったためイギリスは彼らのサポートも受けることが出来た。しかしワシントン率いるアメリカ独立戦争の情報戦略が功を奏し、徐々にロイヤリスト達は植民地側へと付くようになっていった。

イギリスはウォーラバウト港に囚人船を持ち込み、ここに収容され死んでいったアメリカ人パトリオットの人数は独立戦争の戦闘で死んだ数よりも多い。

1783年パリ条約が結ばれ植民地はアメリカ合衆国としてイギリスより完全独立。同年11月25日はイギリス軍がニューヨークより撤退した日で、Evacuation Day(撤退の日)と呼ばれ現在でも式典などが催される記念日となっている。
19世紀初頭の都市化

19世紀初頭になると都市の拡大と共にマンハッタンに次ぎキングス郡の都市化が顕著となった。19世紀後半まではマンハッタンとの交通手段は蒸気船しかなく、小作が行われている農業地帯も多かったがニューヨーク港を効率よく利用できる地形から工業化も進み、また財界人のベッドタウンとしても発展が加速した。1806年にはウォーラバウト港にブルックリン海軍工廠も創業し1966年まで造船を続けた。

初期の都市化はロウワー・マンハッタン(マンハッタン島南端)からアクセスの良いブルックリン街より始まり、フルトン・フェリー地区から就航した蒸気船によってブルックリン・ハイツはウォール・ストリートに勤める人々の住宅街として発展した。このフェリー駅からクイーンズのジャマイカ地区を結ぶ道はフルトン・ストリートとなりイースト・ニューヨーク地区まで延びた。また複数あった街や村のいくつかは統合され1834年にブルックリン市が誕生した。1908年のブルックリン・ハイツ1894年グランド・アーミー・プラザの凱旋門1879年のスケッチ

これと平行してやや北にあるブッシュウィック町もウィリアムズバーグ村と共に発展。ウィリアムズバーグ村は1840年にウィリアムズバーグ町より分離された村であったが、1851年にはウィリアムズバーグ市ができたことで統合された。このころのキングス郡には2つの市と6つの町が存在しており独立地方行政が敷かれていた。またマンハッタンが1811年委員会計画で完璧な格子状の道路網を築いたのに対し、複数の区画を有していたキングスはあえて道路を碁盤の目にはせず、それぞれの行政が独自に道路網を整備した。これはもともとオランダとイギリスが別々に開拓したために東部と西部で街路の仕組みが異なっていたことも原因である。西部ではマンハッタンと同じ方式で南北にアヴェニュー(街)が走り、東西にストリート(丁目)が走るが、東部ではその逆で、南北にストリートが走り、東西にアヴェニューが走る。東部ではアヴェニューも数字ではなくアルファベット順となる。ウィリアムズバーグ地区とその後背地であるブッシュウィックはイーストリバー沿いであったことから誕生からわずか3年で急激な成長を見せ、1854年にはブルックリン都市圏として扱われるに至った。

19世紀中盤よりインダストリアル・ディコンセントレーション(産業の脱集中化)といわれる都市部からの工業地帯の締め出しによってマンハッタンからロングアイランド西部へと移ってきた産業により、造船や製造業などの雇用が生まれ、ブルックリンは合衆国東海岸北部の主要工業地帯となった。
南北戦争

ブルックリンにおける南部奴隷解放の運動はマンハッタンより活発で共和党体制だった同市は南北戦争において他の東海岸北部地域同様、強烈な北軍支持に周った。グランド・アーミー・プラザにある凱旋門は北軍の勝利に終わった戦後に建造され、プリマス教会には奴隷制度廃止運動ヘンリー・ウォード・ビーチャーの記念碑が建てられている。

同戦争においてブルックリンはその工業と海上輸送を利用し多くの兵士と物資を供給。装甲艦モニターはブルックリンで製造された。同市が送り出した有名な連隊に第14ブルックリン連隊、通称レッドレッグド・デビルズがいる。彼らはフランスの猟騎兵を参考にした赤い戦闘服を身に纏い1861年から1864年まで戦闘を行った。市の名前を使用した唯一の連隊であり、エイブラハム・リンカーン大統領は個人的に彼らをレセプションに招待、1861年4月には下士官へと昇進させた。
高度成長

およそ30年に渡るニューヨーク都市圏の拡大に伴い、キングス郡は港湾都市として発展著しく19世紀には合衆国で3番目に多い人口を抱えるまでになった。詩人エマ・ラザラスのソネット作品 The New Colossus の中の1883年に発表された詩の中でブルックリンはマンハッタン(ニューヨーク郡)の双子都市と書かれており、ニューヨーク港を2都市を結ぶ空中通路と表現している。双子都市としての性格により初期はマンハッタンとライバル関係にあるキングスであったが、その風潮も徐々に薄れていった。

移民の流入と工業化によりその経済発展も目を見張るものがあった。ゴワナス港からグリーンポイントまでの沿岸は埠頭や工場が立ち並び、ゴワナス運河の開通やニュータウン川と呼ばれる三角江を運河化したことにより輸送も効率化した。装甲艦モニターなどは高度成長時代のウィリアムズバーグの造船所で生産された最も有名な工業製品である。南北戦争後は路面電車を始めとしたインフラ整備も進み、開発はプロスペクト・パークを越えさらに東へと郡の中部まで広がっていった。急激に人口が増加したことにより水道インフラの整備が必要となり中央水道設備の設置の為リッジウッド貯水池を設けた。1910年のアトランティック・アヴェニュー駅

しかしキングス郡の端にある村町は現在のように地下鉄網もなかったため依然としてマンハッタンやブルックリンのダウンタウンから隔離された地域であり、またそこに住まう人々も閑静な郊外地域としての環境を保持したいと考えていた。1878年にニューヨーク市地下鉄のBMTブライトン線(Qトレイン)が開業したことにより同地域の隔離状態は終焉を迎えた。

スポーツなどの娯楽産業にも華が咲くようになりプロ野球チームのブルックリン・ブリッジルームスはワシントン・パークやパーク・スロープなどで試合を行っていた。チームは20世紀初頭に現在のロサンゼルス・ドジャースの前身にあたるブルックリン・ドジャースと名を変えエベッツ・フィールドをホームとした。またコニーアイランドのブライトン・ビーチを中心に南部沿岸地域では競馬場やアミューズメントパークが開業し合衆国随一の娯楽産業地域として最盛を迎えた。

19世紀末はその爆発的成長の最後の時代であり地下鉄と工業化は最南端(西側)のベイ・リッジからサンセット・パークまで拡大した。ブルックリン市は1886年にニューロッツ町、1894年にフラットブッシュ町、グレーヴセンド町、ニューユトレヒト町、1896年にフラットランズ町を併合し、その面積はほぼキングス郡全体に匹敵する大きさとなった。
ニューヨーク市併合1936年のイーストリバー沿岸。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:164 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef