法学者の董成美によれば、アメリカ合衆国憲法は、アメリカのブルジョア革命(アメリカ独立革命)の産物である[16]。「歴史上最も古いブルジョア憲法のひとつであり、世界で最も古い成文憲法」とされている[16]。 法学者の辻村みよ子によると、1793年の人間と市民の権利の宣言における「所有権」規定は、経済的自由を基礎とする点で、「ブルジョア革命の本質に適合している」[17]。この人権宣言の目的は、現存するブルジョア財産の保全だった[17]。1793年憲法はまさしくブルジョア革命の産物であり、ブルジョア憲法の原理の枠内にある[18]。 1793年の人間と市民の権利の宣言と憲法は、「封建制を廃棄し資本主義的自由経済の進展を推進しようとするブルジョアジー本来の役割を果たした」[19]。しかし民衆は「反資本的」性格を有しており、この点で民衆の立場と袂を分かっていた[19]。経済的自由主義の上に立った人権(所有権)も、社会的・経済的平等の実現を不可能にしていた[19]。 都市工学者の井出智明によると、日本は「天皇主権と警察圧力を背景とした非民主的な政権運営の下」で太平洋戦争に向かい、一般生活者もジャーナリストも、民主主義を(自主的にまたは強制されて)放棄することとなった[20]。日本の現代的民主化は、敗戦によってブルジョア憲法(日本国憲法)が半ば強制的に制定されることにより、ようやく実現した[20]。 経済学者の村上和光によると、敗戦後の民主化政策は、第一に憲法体制の構築だと言える[21]。日本国憲法は現代資本主義的憲法であり、これは「日本資本主義」を「現代資本主義」として再編成することに最も適合した最高法とされる[22]。同時に日本国憲法は、労働基本権・社会権・生存権・公共福祉規定などを、たとえプログラム規定としてであれ、多面的に貫徹させている[23]。 浦部法穂によると、資本主義的生産が発展する中で、最高かつ独立した君主権は、封建的利益を守るために、資本主義的発展を抑圧・阻止する方向で、様々な政策を展開した[24]。そのため、資本主義の担い手である新興ブルジョワジーにとって、君主の主権は否定されるべき対立物となった[24]。君主(君主権)に代わる新たな主権原理が求められたのであり、これが民主(人民主権)である[25]。 董成美によれば、アメリカ憲法が制定される前は、「全世界のあらゆる国が封建専制の制度であった」とされている[26]。すなわち歴史的に見て、啓蒙思想家がアメリカで共和制の創立を主張していたことは画期的である[27]。共和主義は、18世紀後半の民主革命思想だった[27]。それは、人民大衆が君主制と世襲貴族制に反対する思想・意識であり、当時は急進的思想だった[27]。 近代化の中で、封建制に反対し闘争する必要が生じ、ジョン・ロックやモンテスキューのような「ブルジョア啓蒙思想家」たちは、権力分立理論を学説へと発展させた[28]。ロックの『市民政府論』を継承したモンテスキューは、国家の三つの権力(つまり立法権・行政権・司法権)が、それぞれ異なる人物または異なる機関によって掌握されなければならないと考えていた[29]。さもなければ、市民の自由が保障されないためである[30]。あらゆる権力が「一体化」した時には、専制君主の外観が無くとも、専制君主的であるとモンテスキューは指摘していた[30]。 権力分立(権力抑制均衡)の原則は、「ブルジョア国家」と伴って創立され、既に200余年の運用の歴史がある[31]。しかしこの歴史の中で、ブルジョア世界(資本主義世界)には重大な変化が発生した[32]。すなわち、近代のブルジョア革命は、ブルジョアが圧勝することによって終結した[32]。その後創建された政権は、ブルジョアという一つの階級によって占有された[32]。 董成美によるとアメリカ憲法は、「封建君主専制に反対する革命精神」を象徴している[33]。しかし同時に、アメリカのブルジョアジーにとってアメリカ憲法は、「独裁手段」でもある[33]。
フランス共和国憲法
日本国憲法
歴史
君主制・封建制との関係
アメリカ
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