ブルジュ・ハリファ
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プロジェクトが完成した時、世界は金融危機の真っ只中にあり、ドバイ国内は建設過剰な状態であったため、空室や差押さえ物件が溢れ返っていた[5]。野心に溢れていたドバイはその結果負債まみれになっており、やむを得ず政府は数十億ドルもの借入を、石油が豊富な隣国アブダビに頼らざるをえなかった。これに続いて、オープニングセレモニーで突如ビルの名称が、建設に対する重要なサポートを果たしたアラブ首長国連邦第2代大統領で連邦内最大の国アブダビ首長国アミール(首長)であるハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン (????? ?? ???? ?? ?????,) にちなんだ「ブルジュ・ハリファ」に変更された[6][7][3]
企画

企画はドバイの不動産開発会社であるエマール・プロパティーズ

商業施設、居住施設、娯楽施設などを含む大規模な複合施設の核として位置づけられており、全ての計画を換算すると80億USドルに上ると見られている。経済効果は少なくとも200億ドルを超えると見込まれる。

ブルジュ・ハリファ建設の決定の背景には、石油依存の単独経済体制からサービス観光を含む多様化を目指す政府の決定があると報告された。政府関係者によれば、都市が国際的な認知を得て投資を呼び込むにはブルジュ・ハリファのような計画が必要だと考えられていた。「彼(ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム首長)は、何か凄くセンセーショナルなものでドバイを有名にしたがっている」と、ナキール社のジャッキー・ジョセフソン観光・要人使節団担当役員は話した[8]

明確な裏づけは無いが、計画は当初から何度も高さを増す方向に見直しがかけられたという。元々は、オーストラリアのメルボルン・ドックランド(英語版)に計画されたグロロ・タワー(英語版)560 m (1,837 ft) に匹敵する高さが予定されたが、SOMによって計画の再検討が行われた[9]。2006年までこの計画に加わっていたSOMの建築デザイナーであるマーシャル・ストラバラ(英語版)は、2008年にブルジュ・ハリファは808 mの高さに設計され直されたと述べた[10]
建設建設の進め方を解説するアニメーションダウンタウンドバイ・旧市街の地区から見た、建設中のブルジュ・ハリファ(2008年)2008年3月に空撮された建設中のブルジュ・ハリファ

建設は、韓国サムスン物産が、ベルギー最大の建設会社のベシックス (Besix)、アラブ首長国連邦の超高層ビルを得意とするアラブテック (Arabtec) とジョイントベンチャーを組んで担当した[11]。建造コンクリート強度は80N/平方ミリメートル[12] (80メガパスカル(80万hPa))。このビルの設計はアメリカ合衆国スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル (SOM) が、上海ジンマオタワーなどの設計で有名なアメリカ人建築家のエイドリアン・スミス(英語版)を主要設計技師、ウィリアム・F・ベーカー(英語版)を主要構造技師に迎えて行われた[13][14]。設備はアラブ首長国連邦のETA社、インドのVoltas社、日本日立プラントテクノロジーが担当している。26,000枚以上のガラス板は、中国香港の遠東環球集団(英語版)(中国建築股?有限公司の子会社)から300人以上の専門家によって据え付けられた[15][16]。建設契約において、Turner社がプロジェクトの管理を担当した[17]。基礎は鉄筋コンクリート製である。プツマイスター社はこの建設のために超高圧コンクリートポンプ車 (BSA 14000 SHP-D) を開発した[18]。コンクリートは45000 m3以上、鉄筋を含めると11万t以上の重量となるコンクリートから直径1.5 m、長さ43 mのパイルが192本造られ、50 m以上の深さに埋められた[19]。躯体には33万m3のコンクリートと55000 tの鉄筋が使われ、工数は2200万[人・時]にのぼった[13]。基礎に使われたコンクリートは高密度かつ低透過性ものである。基盤の下には陰極防食法が施され、地下水が含有する腐食性化学物質による悪影響を最小限にしている[16]。2008年5月プツマイスター製ポンプは地上606 m (1,988 ft) の156階までコンクリートを汲み上げる世界記録を達成した[18]。組み立てには吊り上げ荷重25 tのタワークレーン3台が、最上階に至るまで使われた[20]

建設は2004年9月21日に始まり、外貌は2009年10月1日に完成した。オープンは2010年1月4日に行われた[21][22]

2009年3月、建設プロジェクト議長のエマール・プロパティーズ社ムハンマド・アル=アッバール(英語版)は、ブルジュ・ハリファの事務所スペースの価格が4,000USドル/ft2(43,000USドル/m2)に達し、アルマーニが販売する住居スペースは3,500USドル/ft2(37,500USドル/m2)になったことを発表した[23]。彼は、プロジェクト全体の費用を約15億USドルと見積もった[24]
建設の遅れ

2008年6月9日エマール・プロパティーズ社は、ブルジュ・ハリファの建設がアップグレードを理由とした遅延状態にあり、2009年9月にならなければ完成しないと発表した[25]。広報担当者は「贅沢品まで含めた完成は2004年とされていたが、これは初期の構想によるものである。現在はアップグレードされた完成に向かっている。居住区のデザインは美しくより魅力的かつより機能的に高められた」と述べた[26]。そして完成日を2009年12月2日に延期するという発表が行われた[27]。しかし結局はさらに1か月以上遅れ、ブルジュ・ハリファは2010年1月4日にオープンした[21][22]
労働争議

ブルジュ・ハリファは、主に南アジアからの労働者によって建設され[28][29] 、 2008年6月17日時点で建設現場には7,500人の熟練労働者が働いていた[25]。その賃金は熟練の大工で日給4.34UKポンド、一般労働者で2.84UKポンドだった[28]


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