ブリトニー・スピアーズ
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2000年代最も売れた女性アーティストとして正式に認定され、これまでにリリースした8枚のオリジナルアルバム中5枚が全米チャート1位を獲得し、全世界トータル・セールス1億枚を誇る。
来歴
生い立ち

ミシシッピ州マコームにてイングランド系アメリカ人の両親の間に生まれ、ルイジアナ州ケントウッドで育つ[8][9][10]。妹は女優のジェイミー・リン・スピアーズ

8歳にしてディズニー・チャンネルの『ミッキーマウス・クラブ』のオーディションに応募するも、「年齢が低すぎる」という理由で落選する。その後、11歳で『ミッキーマウスクラブ』のオーディションに再び応募し、合格。番組にレギュラー出演し、14歳でジャイヴ・レコードと契約する。
歌手としての成功

16歳でシングル「ベイビー・ワン・モア・タイム」("...Baby One More Time", 1998年10月)でデビュー。同シングルは全世界で915万枚の売り上げを記録し、世界19ヶ国でプラチナム・ディスクを受賞。同名デビュー・アルバム(1999年)はバックストリート・ボーイズで有名なマックス・マーティンや、ホイットニー・ヒューストンを手掛けたエリック・フォスター・ホワイトらによって製作され、アメリカだけで1726万枚、全世界トータル3000万枚のセールスを記録し、35ヶ国でプラチナム・ディスクを獲得。発売から1年以上にわたりチャートに登場するロングセールスを記録した。

2000年5月、2枚目のアルバム『ウップス!…アイ・ディド・イット・アゲイン』("Oops!... I Did It Again")はアメリカで1300万枚、全世界トータル2096万枚の売り上げを記録。先駆けて発売された同名シングルのラジオオンエアは、1週間で155局のプレイ・リストにエントリー。アメリカの最高記録を塗り替えた。

アメリカで650万枚、全世界トータル1200万枚を認定した3枚目のアルバム『ブリトニー』("Britney", 2001年)の頃からセクシー路線に切り替わり、アルバム『イン・ザ・ゾーン』(In The Zone, 2003年)では、完全にイノセントなアイドル性を払拭、セクシーなダンス・ビートをベースにしたサウンドでリスナーを圧倒し、アメリカで430万枚、全世界トータルで800万枚を記録。同アルバムに収録されている曲「エヴリタイム」("Everytime")のミュージックビデオでは自殺未遂、ドラッグといった描写が問題となり、カットされた。その代わり、ブリトニーが頭から血を流し溺れるシーンに変更された。またこの曲は当時付き合っていたジャスティン・ティンバーレイクとの破局を歌ったものとされている。

ブリトニーのミュージック・ビデオ「トキシック」が、イギリスの『テレグラフ』紙の行った「最もセクシーなミュージックビデオ」(The Sexiest Music Video)のランキング1位に選ばれた。

2004年に発売されたベストアルバム『グレイテスト・ヒッツ:マイ・プリロガティヴ』("Greatest Hits: My Prerogative")はアメリカで230万枚、全世界トータル600万枚を越え、日本でも80万枚を超えるなど世界中で大ヒット。

2005年、ブリトニーが制作していた『オリジナル・ドール』の発売が禁止にされた。原因として有力視されているのは、当時制作中だったデモを事務所に無断で放映した事。この事実は、のちに『ブリトニースピアーズの幻のアルバム』と世に知られることになった。アルバム発売の代わりにB・イン・ザ・ミックス」と「カトリック」が発売される。
奇行・復帰

2007年初頭より突然自らバリカンを持って坊主頭にしたり[11]パパラッチを傘で叩いたりなどの奇行が見られた。家族や関係者の説得もあって3月下旬までドラッグ・リハビリのため更生施設に入所。ダンススタジオに通いボイストレーニングをするなど復帰の準備を本格的に開始。5月1日、2004年6月のアイルランド公演以来約2年10か月ぶりにカリフォルニア州サンディエゴライブハウスで15分ほどのライブパフォーマンスを披露した。


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