ブリテン諸島
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この諸島の名前は2000年間にもわたって使用されており、ローマ博物学者大プリニウスは「それ自体をアルビオンとよび、その周辺の島々は簡潔に Britanniae (ブリタニエ) とよばれている」と記述している[6]
主な島々

これら6000を越える島々の総面積は315,134 km2であり、主な島や島群には以下がある。



グレートブリテン島

アイルランド島

マン島(グレートブリテン島とアイルランド島の間のアイリッシュ海北寄り)

ワイト島(グレートブリテン島南側、英仏海峡内)

シリー諸島(グレートブリテン島南西のコンウォール半島の沖、ケルト海上)

オークニー諸島(スコットランド北側、北大西洋上)

シェトランド諸島(オークニー諸島の北側)

フェア島(オークニー諸島とシェトランド諸島の間)

ヘブリディーズ諸島(スコットランド北西側、北大西洋上)

アングルシー島(ウェールズの北側、アイリッシュ海中央)

ホリー島(アングルシー島西側)

アラン諸島(アイルランド島西側)

ランディ島(ウェールズとコーンウォール半島に挟まれたブリストル海峡内)

チャンネル諸島(フランスのコタンタン半島(別名ノルマンディー半島)西側、英仏海峡内)

ブリテン諸島の名称の由来

古来、島の外からは "Brit-" または "Prit-" で始まる様々なよび方がされ、島の住民は大洋の島という意味の oceani insulae または島々を意味する insularum と呼んでいた。英語が使われるようになってから British Isles と呼ばれるようになった。
古代の地理学者

古代のブリテン諸島の住人は紀元前5世紀に進入してきた Bruthin または Priteni と称するケルト人であった。古代の地理学者達は住民の集団の名をとりラテン語(例:Bretannae)やギリシャ語(例:Βρηττανων)のような自分達の言語に直し島々を呼んだ。

ストラボンの『地理誌』第4巻ではブリテン島を Prettanikee と綴り、Prettans または Brettans と島々を呼んだ。例えば地理2.1.18, "...οι νοτιωτατοι των Βρηττανων βορηιοτηροι τουτον ηισιν".(Brettans南部のほとんどがこれよりさらに北にある)。これは紀元10年ごろに書かれたものであるが、現存する最古の写本は6世紀のものである。

大プリニウスはラテン語によるこの島々への術語を紀元70年ごろ『博物誌』4.102節で用いた。Albion ipsi nomen fuit, cum Britanniae vocarentur omnes de quibus mox paulo dicemus.(『島々全体』は Britannias と呼ばれる時、アルビオン(Albion)はその名である。)次の4.103節ではグレートブリテン、アイルランドおよびその他の小さな島々といったBritanniasを構成する島々を列挙している。

プトレマイオスはアイルランド (Hibernia) はBritanniaという島々のグループに属するとし、幾分詳しい。プトレマイオスの地理学第2巻1章はヒベルニア、ブリタンニアの島と題が付けられた。
原住民の典拠

地理に関する早期の現存する考察はほぼ古代の言語に限られている。歴史上の地理学者による英語の "British Isles" は宗教改革以降にのみ見られる。

原住民によるこの島々への最古の集合的な用語の出典は、6世紀のアイルランドの僧侶聖コルンバによるブリテンの人々への伝道活動を記した『聖コルンバ伝(英語版)』である。これは7世紀末にアイオナ島にかなりの数のピクト人およびイングランド人の僧侶と共に住んでいたアイルランドの僧侶アドムナン(アイルランド語版)により書かれ、当時ブリテン諸島全体の権威と考えられていた。この作品ではこの諸島は「大洋の島々」の意の oceani insulae と呼ばれ[7]、使用は控えめだった。

他の原住民の典拠は8世紀に書かれたベダの Historia ecclesiastica gentis Anglorum にある。そこでは「島々」を意味する insularum が使われていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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