ブリットポップ
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ブラーが自らブリットポップの終止符を打ったとも言われている[1]。またこの年の8月、オアシスが3rdアルバム『ビィ・ヒア・ナウ』をリリース[5]。イギリスで1位、アメリカで2位を獲得したが、その内容には大きな失望の声が上がり、辛口の評価を受けるなど、賛否両論を巻き起こした(後にノエルは「ビィ・ヒア・ナウ」は失敗作だったと発言し、2006年に発売されたベストアルバムには1つも収録しなかった[注 3])。1998年にはパルプの新作『ディス・イズ・ハードコア』もリリースされたが、これも暗い内容で期待したほど売れず、結局これらがブリットポップ・ブームの終息の象徴となっていった。

その後イギリスの音楽界は、スパイス・ガールズロビー・ウィリアムズなどの芸能人によるコマーシャルなポップスが人気を集めるようになり、ブリットポップ期にデビューしたバンドの多くは姿を消していった。また1990年代初頭に結成され、ブリットポップのブームの中で登場したバンド群とは異なる音楽性を持っていたレディオヘッドザ・ヴァーヴは、ブームの後に双方ともバンドの代表作となるアルバムをリリースしている。

同年にはブリットポップだけでなく、1990年代のオルタナティブ・ロックやポスト・グランジの影響を受けた音楽性を持つトラヴィスステレオフォニックスフィーダーといった新たなバンドがデビューし、2000年代にはメインストリームで支持されるようになった。これらのバンドは、ポスト・ブリットポップ(en:Post-Britpop)というカテゴリーに包括されている。
その後

ムーブメントが終わって消えていったバンドの中には、マリオン[注 4]のフィル・カニンガムがニュー・オーダーに加入したように、自分達よりも人気のあるバンドにスカウトされる者もいれば、スウェードのブレット・アンダーソンなどといった地味にソロ活動を続ける者、メンズウェアのサイモン・ホワイトとクリス・ジェントリーのように若手バンドのマネージャーを務める者、音楽業界から身を引き作家に転向したスリーパーのルイーズ・ウェナーのような者などもいた。

また、ゴリラズで世界的な成功を獲得したブラーのデーモン・アルバーン、ソロ・アーティストとして成功しているパルプのジャーヴィス・コッカー、人気歌手のダフィーなどを手掛け、元スウェードのバーナード・バトラーは売れっ子プロデューサーとなった。

ブリットポップ次世代の台頭や当時の音楽への再評価の機運を受けるように、2006年以降、多くのブリットポップ・バンドに再結成の動きが続いた。クーラ・シェイカーやシェッド・セヴンなどを皮切りに、ドッジー、マリオン、ノーザン・アップロアーなどの中堅ブリットポップバンドもブームに乗って再結成。これら一連のリバイバルブームによるブリットポップ再評価の波は、長らく続いたメンバー間の亀裂を修復させて再会したブラーの帰還に至って盛り上がりを見せた。2010年、ブラーが7年ぶりのニュー・シングルをリリースし、スウェードもチャリティ・コンサートをきっかけに復活、キャストやパルプがそれぞれ再結成ライヴを行うことを発表したのと前後して、皮肉にもブリットポップの象徴であり生き残りであったオアシス、そしてスーパーグラスがそれぞれ突然の「解散」を発表した。

しばらく新しい音楽的ムーブメントが起こらなかったことから、「ブリットポップによる弊害」とする否定的な意見も多かった。しかし2000年代に入り、ブリットポップを音楽の原体験とするカイザー・チーフスカサビアンブロック・パーティーらがデビューし、影響をはっきりと公言する者も多かったことから、徐々に一定の名誉回復を遂げたとされる。ちなみに2004年には、ブリットポップが1994年に誕生したという考えからちょうど10年ということで、記録映画「LIVE FOREVER」が公開された。この映画では、デーモン・アルバーンやオアシスのギャラガー兄弟、パルプのジャーヴィス・コッカーといった多くの関係者がブーム当時を回想している。
ブリットポップ期のミュージシャン詳細は「ブリットポップ・ミュージシャンの一覧」を参照
関連項目

ブリティッシュ・インヴェイジョン - 第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン

トニー・ブレア - 労働党右派の政治家

脚注[脚注の使い方]


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