またそんな中、1994年4月5日、ニルヴァーナのフロントマンであるカート・コバーンが自殺し、グランジ・ブームは一気に影を潜めることになる。突然の悲劇にロック・ファンは衝撃を受けた。 このグランジ・ブームの終焉によって開いた穴を埋める、ブリットポップという言葉を生み出すきっかけとなったのが、ブラー[2]の3rdアルバム「パークライフ」のイギリスでの大ヒットと、オアシス[注 1]のデビューだった。両グループにより、イギリスの音楽シーンは大きな変貌を遂げることになる。ロック・ファンが本来のイギリスらしいロックの原点回帰を望んでいた中で登場し、脚光を浴びたのがブラーとオアシスだった。 機知と皮肉に溢れた歌詞に、捻くれたポップサウンドが特徴の中流階級出身のブラーと、荒々しくも流麗なメロディーを奏でる労働者階級出身のオアシス。両バンドにおけるこういった音楽性、階級の違いをマスメディアは大きく取り上げ、いつしか「ブリットポップ」なる言葉が誕生することとなった。多くのレコード会社は、新人バンドを次々とデビューさせた。それが翌年のブリットポップ・ブームの到来へと繋がっていった。 90年代前半には、イギリスの音楽界には個性的なミュージシャンが次々と登場した。ブラー、オアシス、スウェードに加えて、パルプ、レディオヘッド、ザ・ヴァーヴ、シャーラタンズ、プライマル・スクリーム、PJ ハーヴェイ、スピリチュアライズド、マニック・ストリート・プリーチャーズ、コーナーショップ、ステレオフォニックス、ドッジー、ノーザン・アップロアー、ブラック・グレープ、ライトニング・シーズ、ブー・ラドリーズ、スーパーグラス、ティーンエイジ・ファンクラブ、ゴーキーズ・ザイゴティック・マンキ
歴史
ジャーヴィス・コッカーを中心としたパルプは、1978年に結成してから長くインディーズ時代を過ごしていたが、93年にようやくメジャー契約を結んだ後に徐々に知名度を上げ、1995年、「コモン・ピープル」でその人気が上昇し、ロック・ファンの間でブラー、オアシスにも劣らぬ人気を得るに至った。
ブリットポップ・ブームは社会現象と化し、ミュージシャン達が軽薄なバラエティ番組への出演や、新聞に載るなど身近なものへと浸透していった。更には業界の枠を超え、モデルとなってファッション雑誌にイギリス国旗をあしらった衣類を着て登場するなどの一面も見せていた。メディアは音楽のみならず、ファッション、芸術などイギリスのポップカルチャーの特集を組み、商業主義の「クール・ブリタニア」と呼ばれるこれらの状況を指す用語が登場し、広く用いられるようになった。
それを象徴するかのように1996年、ユアン・マクレガー主演の青春映画「トレインスポッティング」が公開され、ロングラン・ヒットを記録。