また、ゴリラズで世界的な成功を獲得したブラーのデーモン・アルバーン、ソロ・アーティストとして成功しているパルプのジャーヴィス・コッカー、人気歌手のダフィーなどを手掛け、元スウェードのバーナード・バトラーは売れっ子プロデューサーとなった。
ブリットポップ次世代の台頭や当時の音楽への再評価の機運を受けるように、2006年以降、多くのブリットポップ・バンドに再結成の動きが続いた。クーラ・シェイカーやシェッド・セヴンなどを皮切りに、ドッジー、マリオン、ノーザン・アップロアーなどの中堅ブリットポップバンドもブームに乗って再結成。これら一連のリバイバルブームによるブリットポップ再評価の波は、長らく続いたメンバー間の亀裂を修復させて再会したブラーの帰還に至って盛り上がりを見せた。2010年、ブラーが7年ぶりのニュー・シングルをリリースし、スウェードもチャリティ・コンサートをきっかけに復活、キャストやパルプがそれぞれ再結成ライヴを行うことを発表したのと前後して、皮肉にもブリットポップの象徴であり生き残りであったオアシス、そしてスーパーグラスがそれぞれ突然の「解散」を発表した。
しばらく新しい音楽的ムーブメントが起こらなかったことから、「ブリットポップによる弊害」とする否定的な意見も多かった。しかし2000年代に入り、ブリットポップを音楽の原体験とするカイザー・チーフス、カサビアン、ブロック・パーティーらがデビューし、影響をはっきりと公言する者も多かったことから、徐々に一定の名誉回復を遂げたとされる。ちなみに2004年には、ブリットポップが1994年に誕生したという考えからちょうど10年ということで、記録映画「LIVE FOREVER」が公開された。この映画では、デーモン・アルバーンやオアシスのギャラガー兄弟、パルプのジャーヴィス・コッカーといった多くの関係者がブーム当時を回想している。
ブリットポップ期のミュージシャン詳細は「ブリットポップ・ミュージシャンの一覧」を参照
関連項目
ブリティッシュ・インヴェイジョン - 第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン
トニー・ブレア - 労働党右派の政治家
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 労働者階級出身のバンド。ノエルとリアムの不仲は、たびたび報道された
^ ノエルは、後に「デーモンとアレックスには長生きしてもらいたい」と謝罪、紆余曲折を経て彼らとは和解している。また、デーモンのプロジェクトであるゴリラズのアルバムにノエルが参加するなど、現在でも交流が続いている
^ 2016年に当アルバムが「チェイシング・ザ・サン」の一環としてリリースされた際も、ノエルは否定的な態度をとった。ノエル・ギャラガー、『ビィ・ヒア・ナウ』は「あの時に作るべきじゃなかった」と語る
^ マンチェスター出身のバンドで、セカンドアルバムは、元スミスのジョニー・マーが制作を担当した
出典^ a b c ⇒ブラー 『パークライフ』花の絵 2014年4月16日
^ ⇒http://www.allmusic.com/artist/blur-mn0000758444/songs
^ ⇒http://www.discogs.com/ja/artist/7201-Echobelly
^ https://www.allmusic.com/song/roll-with-it-mt0031942220
^ https://www.allmusic.com/album/be-here-now-mw0000594848
外部リンク
第41回 ─ BRIT POP - TOWER RECORDS ONLINE
⇒ListenJapan
⇒Allmusic entry for Britpop