ブリスベン
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ブリスベン大都市圏はオーストラリアで3番目に大きい都市圏である[28]

オーストラリアの首都圏においては最も高い人口増加率を示し、2001年から2006年の人口増加率は年間平均2.2%であった[30]年齢の中央値は35歳である[31]

2006年の調査ではブリスベンの人口のうちオーストラリア先住民は1.7%、21.7%は海外生まれであり、国外生まれでは、ニュージーランド、南アフリカ、イギリスで生まれた者が多かった[31]。また、約16.1%の家庭が英語以外の言語を話し、うち北京語が1.1%、ベトナム語が0.9%、広東語が0.9%、イタリア語が0.6%、サモア語が0.5%である[31]
ブリスベン市の人口構成

2006年の国勢調査ではブリスベン市の人口は956,130人であった。このうちオーストラリア市民権所持者は806,379人(84.3%、オーストラリア平均86.1%)、海外生まれは229,173人(24%、同23.8%)、オーストラリア先住民は12,938人(1.4%、同2.3%)であった[32]。また海外生まれのうち、英語圏出身者は97,168人(10.2%)、英語圏以外の出身者は132,005人(13.8%)であった。

1987年までブリスベン南部の地区のワコール(Wacol)にワコール移民局があったため、ブリスベン南部に海外生まれ人口が多い地域が集中した[33]。2001年から2006年の間にブリスベン市の人口は89,801人増加し、うち海外生まれの人口は31,431人であり、かつ英語圏以外の出身者が21,984人を占める[32]

ブリスベン南部の地区であるサニーバンク(英語版)は東アジア出身者の多いサバーブの一つであり、41.5%が海外生まれである[32][34]。英語圏出身者別(7.6%)ではニュージーランド(3.5%)、イギリス(3.4%)、英語圏以外(33.9%)では中国本土(8.6%)、台湾(7.3%)、香港(2.3%)であった[32]。ブリスベンはオーストラリア国内で最も台湾系移民が多い地域である。中華街のあるフォーティテュード・ヴァリーにおける中国本土出身者の割合は1.6%であり、ブリスベンにおける中国本土出身者(1.0%)に比べるとわずかに多いが、サニーバンクに比べると少ない[32]。サニーバンクには中国系レストランも多くあり[34]、そのためサニーバンクとその周辺は‘本当の中華街’、‘台湾街’などと言われることがある。また、ベトナム人は南部のイナラ(14.3%/海外出身者33.8%)やダラ(15.2%/同40.8%)周辺に多い[32]

インナーサバーブ南部は、ギリシア人イタリア人を中心に南ヨーロッパ出身者が多い。シティー周辺にはセルビア人ボスニア人クロアチア人インド人、パキスタン人、南アフリカ人、フィジー人などが多い。
文化
観光ブリスベン中心部の地図

シティーの旅行者に人気があるのは、2000年から2001年にかけ改修したローマストリート公園、(植民地時代からある植物園である)ブリスベンシティー植物園1988年世界万博の開催地であったサウス・ブリスベンにあるサウスバンク公園などである。旅行者も市民も同様に、美しいブーゲンビリアの並ぶリバーサイドウオークウェイを季節を問わず歩き、音楽やアートフェスティバルに集う。

主要なショッピングエリアはCBD(シティー)にあるクイーン・ストリート・モール(英語版)や、フォーティテュード・ヴァレーにある中華街などがあげられる。ブリスベン川沿いにはカンガルーポイントではロッククライミングやカヤッキングなどが楽しめる。また、マウント・クーサにはシティーを見渡せるサミット展望台、マウント・クーサ植物園、セント・トーマス・ブリスベン・プラネタリウムがある。

世界で最も大きく古いコアラの保護区であるローンパイン・コアラ・サンクチュアリもブリスベン市内の観光地として人気がある。

キャッスルメイン・パーキンスXXXXビール のミルトンの醸造所は月曜日から金曜日、ツアーがある。草間彌生パブリックアート作品「Eyes Are Singing Out」(2012)ブリスベンジョージ・ストリート(英語版)
歴史的建造物ストーリーブリッジ

ブリスベンには多くの歴史的、近代的建造物が建築されている。
ストーリーブリッジ
フォーティテュード・ヴァリーとカンガルー・ポイントを結ぶカンチレバーブリッジ。シドニーハーバーブリッジのように、大恐慌のときに公共事業で建設された。夜はライトアップされ、毎年行われるブリスベンリバー・フェスティバルの会場の一つでもある。アーチ上部を上るブリッジ・クライムの観光アトラクションが用意されている。
ブリスベン・シティーホール
時計塔のあるシティーホールは1971年にシドニーのシドニー・オペラハウスができるまで、オーストラリアで一番高い費用がかかった建物だった。1930年完成[35]。今でも市役所の本部が置かれ、ブリスベンの歴史博物館や美術館などがあり、昼間は時計台を一般に開放している。時計台に上るためのエレベーターは手動であり、オペレーターが操作をする。時計台には鐘が設置されており、15分おきに鐘が鳴らされる。2010年から2012年までの間は改修工事のために閉館されており、市役所の本部は一時的に移動されている。
クイーンズランド議事堂
ジョージストリート、ブリスベンのクイーンズランド州立議会の地区にある。植民地時代の1880年代に建てられた。
旧行政府
1820年代後半から1830年代前半にかけて建設された。最初のクイーンズランド総督であるサー・ジョージ・ファーガソンの住居で、今はクイーンズランド工科大学の敷地内にある。
ザ・マンションズ
植民地時代の1889年に建てられた。クイーンズランド最初の女性医師の家で、クイーンズランド議事堂と同じ年代の古さであり、近くに建っている。
ウィンドミル
1820年代コムギを挽くために受刑者によって建てられた
総郵便局ビル
1800年代建設
トレジャリー・カジノ(旧財務省ビル)
ジョージストリート行政地区のトップの砂岩の建物
ステート・ロー・ビル(州法務省ビル)
そのポストモダンなデザインでゴッサムタワー、あるいは特徴的なトップのためにバットマンビルディングと地域の人々に呼ばれる。コンラッド&ガーゲットの地元の建築家のデザインによって改修された。
法廷総合地区
ステートロービルの近くで、クイーンズランド最高裁判所とクイーンズランド地方裁判所がある。
ニューステッドハウス
ブリスベン川のブレックファスト・クリーク沿いに、クイーンズランド最初の総督のために建てられた。その後は、優雅な私邸として軍のキャプテン、奴隷貿易者、オペラ歌手、新聞富豪が住んだ。現在は公開されている。
ブリスベン・エキシビジョン地区
RNA (Royal National Agricultural and Industrial Association of Queensland)の運営で、毎年60万人以上が訪れる“エッカ”が催される。
AMPプレイス
ブリスベンの最初の‘本当の’高層ビル、130mで1978年に建てられた。
リパリアン・プラザ
屋上まで 200m のブリスベンの現在一番高い建物で、250m の尖塔を内包する。53階建ての複合用途のビルは、ハリー・セイドラーのデザインで2005年に完成した。
セントラルプラザI&II
1988年に建設され日本人建築家黒川紀章による設計。
リバーサイド・センター
1986年ハリー・セイドラーによるデザイン。
ザ・スカイニードル
1988年に世界万博のために建設され、88mの高さでスペシャルイベントの間には光が空に向かって放射され、60km以上遠くからでも視認できる。
博物館・美術館

クイーンズランド海洋博物館(英語)

クイーンズランド博物館(英語) - 博物館は以前催し物ホールにあった。


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