ブリスベン
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第二次世界大戦中にはブリスベンにはアメリカ軍が駐屯し連合国軍の太平洋南西部での活動の中心的な役割を担い、AMPビルディング(現在のマッカーサーセントラル)には連合国太平洋司令官 ダグラス・マッカーサー により連合国軍太平洋司令部が置かれた。当時およそ100万人のアメリカ軍部隊がオーストラリアに駐屯し、太平洋南西部での行動の拠点となった。

クイーンズランド大学セントルシアキャンパスも最後の3年間は兵舎になり、サウスブリスベンのセント・ローレンスカレッジも町の見晴らしが良いことで兵舎になった。その間Greenslopesで授業があった。ニューステッド・ハウスも戦時中にアメリカ軍によって使用されていた。1942年にオーストラリア兵とアメリカ兵が市内で争ったブリスベン騒乱事件が発生している(Battle of Brisbane)。

1974年には市内を流れるブリスベン川が氾濫を起こし川に隣接する地区は甚大な被害を受けた。ブリスベン川は1864年1893年1897年にも氾濫を起こしており、74年の氾濫後、市は対策を施しそれ以来現在まで氾濫は起きていない。これらの洪水により被害を受けたブリスベンシティー植物園を、マウント・クーサの麓に新たに植物園を建設した。

1982年にはコモンウェルス・ゲームズ(イギリス連邦競技大会)が、1988年には国際博覧会(World Expo 88)が開催され成功を収めた。

2011年2022年には再び大規模な洪水が起こり、郊外に甚大な被害をもたらした。

現在国内外から移民を受け入れ、オーストラリアで最も人口増加率の高い都市の一つであり急速に発展している。
歴史上の著名なブリスベン出身者

ピーター・ドハーティー、医学研究者及びノーベル賞受賞者

ビル・ハイドン、元オーストラリア総督

チャールズ・キングスフォード・スミス、飛行士のパイオニア、1928年に彼の飛行機「サザンクロス」で初めて太平洋を横断した。

エンマ・ミラー労働運動家、参政権運動家のパイオニア

ウィリアム・F・ウエップ, Hon Sir William Flood Webb KBE: オーストラリア高等裁判所裁判官、極東軍事法廷裁判長

地理ブリスベン大都市圏の国際宇宙ステーションから撮影された衛星写真

ブリスベンはオーストラリア、クイーンズランド州の南東部に位置する。市街地はブリスベン川の半島部に位置し、東部のサバーブ(郊外)はモートン湾沿いにまで広がる。また、ブリスベン大都市圏はグレートディバイディング山脈の東部、モートン湾沿岸の氾濫原に広がる平野にある。この地域には北部のカブルチャーから南部のビーンレー、南西部のイプスウィッチなどが含まれる。

ブリスベンには丘が多く[4]、中央業務地区を含む都市域は標高約300mのクーサ山や、より低いエノゲラ・ヒルのような山を含むタイラー山地の裾野に位置している。

またブリスベン周辺にはマウント・グラベットやトゥーイーズ山付近などの、標高約170mのピートリー山やハイゲート・ヒル、ステファンズ山、ホワイト・ヒルなど、市内に散在している。

市街地には多くの小川があり、洪水の危険性を増大させている。ブリスベン市は植民地化以降の1893年、1974年、2011年、2022年の4度の大洪水を経験している。特に記録的な洪水となった1974年のブリスベン洪水(英語版)はサイクロン・ワンダが原因の一つとなっている。1974年のオーストラリアの日(1974年1月26日-27日)の前の約3週間大雨が続き[5]、この結果、オックスレイ、ブリンバ、ロックレア、クーパルー、トゥーオング、ニューファームなどのブリスベンの多くのサバーブに洪水による被害を出した。またブリスベン・シティー植物園は水没し、この時にブリスベン川のシティー側にマングローブの新しい群落が形成された[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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