その後2004年に新アルバムのレコーディングのために3人でスタジオ入りをするといったこともあったが、グレアムを欠いたブラーは求心力を失い自然消滅的に活動を休止。その間、デーモンはサイド・プロジェクトとして始めたゴリラズでの世界的なブレイクをはじめ、いくつもの活動で成功を収め、グレアムもアルバムを3枚発表し、ソロ・アーティストとしてのキャリアを重ねた。アレックスもサイド・プロジェクトを立ち上げたり他バンドに参加するなど音楽活動を続けながら、田舎に移住してチーズ製造に血道を上げ、自身のチーズ・ブランドがイギリス王室御用達として認められるほどのキャリアを築く。デイヴも音楽活動を続けながら、アニメーションの制作をしたり、労働党の候補として選挙に立候補した他、弁護士資格の取得を目指して勉強し、弁護士事務所で働いていた。その間もアレックスやデイヴがグレアムとコンタクトを取っており、グレアムが復帰し再始動するという噂が2006年の末ごろから幾度か浮上するようになる。2007年10月には2003年のアレックスの結婚式以来4年半ぶりに4人が一堂に会し話し合いが持たれたが、その場ではバンド再始動の決定には至らなかった。
2008年9月、デーモンがアルゼンチンのメディアに対し、「ブラーは終わった」と発言する。その発言を受けてグレアムは、固定ハンドルで普段から書き込みを行っていたブラーの公式サイトの掲示板にて、ブラー脱退から現在に至るまでの経緯を綴り、デーモンに連絡を取る旨を書き込んだ。翌10月、グレアムはデーモンの「アフリカ・エクスプレス」のライブに足を運び、デーモンと脱退以来初めて、腹を割って話し合った。この話し合いで二人は和解したと言われているが[12]、11月にはデーモンが手掛けたオペラ『西遊記』の公演初日に、グレアムがアレックスとともに現れたことが報じられるなど、再始動の機運が高まっていった。
2008年12月9日、オフィシャル・ウェブサイトにおいて、グレアムがデーモンと和解をしてブラーに復帰することが公式にアナウンスされ、2009年7月3日にロンドンのハイド・パークで復活ライブが行われることが発表された。この再始動に対する反響は大きく、5万人分の復活公演チケットは発売開始2分で即完売し、7月2日にも追加公演が行われることが決定した。またコールドプレイ、ステレオフォニックス、カイザー・チーフスなど後進のバンドからは次々と歓迎のコメントや前座出演を請う逆オファーが寄せられた。
2009年2月、NMEアワーズにてデーモンとグレアムの二人だけの形式で再始動宣言後初めての演奏を披露すると、6月からはバンドとして初めてのライブを行った故郷・コルチェスターのイースト・アングリアン鉄道博物館での関係者のみを招いたライブを皮切りに、イギリス中のライブハウスやアリーナをウォームアップ・ギグとして回った。また、同月末にはグラストンベリー・フェスティバルに10年ぶりに出演。最終日の大トリとして出演したこのライブは、「グラストンベリー・フェス39年の歴史の中で、最高のヘッドライナー・ライヴの一つ」と評された。そして7月2日、3日、ハイド・パークでリユニオン・ライブが行われた。ライブの音源は公演直後にライブ・アルバム『オール・ザ・ピープル』として限定版CDおよびダウンロード配信にてリリースされている。
ハイド・パークでのライブ前の6月には、メンバー自身が「ブラー初心者」のために選曲したという新ベストアルバム『ミッドライフ:ビギナーズ・ガイド・トゥ・ブラー』がリリースされた。また、2010年1月にはバンド結成から活動休止、再始動までを追ったブラーのドキュメンタリー映画『ノー・ディスタンス・レフト・トゥ・ラン』が公開され[13]、同映画は第53回グラミー賞の「最優秀長編ミュージック・ビデオ賞」にノミネートされた。また同年4月には、再始動後初めてのオリジナル曲となるシングル、「フールズ・デイ」を発表。4人揃っての楽曲としては7年ぶりのリリースとなった[14]。 2012年2月に開催されたブリット・アワードで功労賞を受賞し、バンドとしてはおよそ2年半ぶりにパフォーマンスをする。また、ブリット・アワーズ前に開かれたチャリティー・コンサートにてブラーの新曲と目された「アンダー・ザ・ウェストウェイ」を、デーモンとグレアムとの二人だけの形で披露した。 その後、ロンドンオリンピック閉会記念ライブに出演することが発表され、7月には記念ライブ用の新曲として「アンダー・ザ・ウェストウェイ」と「ザ・ピューリタン」の2曲を正式に発表。ロンドン市内のビルの屋上からインターネット中継した。また同月、アルバムメジャーデビュー21周年を記念して、アルバム『レジャー』から『ブラー』までのリマスター版を含む、過去のブラーに関するあらゆる音源や映像を集めたCD、DVD合計21枚のボックスセット『ブラー21』をリリースした。 そして8月12日、ロンドン中心部のハイド・パークでロンドンオリンピックの閉会式と同時に開かれたロンドン五輪閉会記念コンサート「ベスト・オブ・ブリティッシュ」にヘッドライナーとして出演[15]。2009年の再結成ライブ以来3年ぶりとなったハイド・パークでのライブには、8万人もの観衆が集まった。翌々日には音源がライブ・アルバム『パークライヴ』としてダウンロード配信されている。 2013年3月からはワールドツアーを敢行し、それまであまりライブを行ってこなかった中南米、東南アジアなども含む世界各国で公演を行った[16]。2014年1月にはツアーの最終公演として11年ぶり、グレアムを含めたフルメンバーとしては15年ぶりの来日を果たし、1997年以来17年ぶり3回目となる日本武道館でのライブを行った[17]。
ロンドンオリンピックに関する活動とワールドツアー
12年ぶりのアルバム『ザ・マジック・ウィップ』.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}Blur perform at Provinssirock