ブラッド・ペニー
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また、試合中盤の5回・6回にスタミナ切れを起こして大量失点するというケースも減り、結果として防御率が前年より1.30向上、クオリティ・スタートの数も前年の16から26まで増えるなど、安定感が増した[10]。勝利数は前年と同じ16勝だったが、勝率.800と被本塁打率0.39はメジャー全体で1位だった。

2008年は自身初となる開幕投手を務めたが、5月7日から7連敗を喫し、6月15日には右肩腱炎で故障者リスト入り[11]。復帰戦となった8月8日に勝ち星を挙げて連敗を止めたが、8月14日に再び右肩を痛め、2度目の故障者リスト入りを余儀なくされた[12]。9月に再度復帰したものの、レギュラーシーズンでは6勝・防御率6.27・51奪三振と自己最低の成績に終わり、ポストシーズンでは登板機会が与えられなかった。

シーズン終了後、ドジャースは925万ドルの契約延長オプションを行使せずに200万ドルの違約金を支払い、これによってペニーはフリーエージェント(FA)となった[13]
レッドソックス時代レッドソックス時代(2009年)

2009年1月9日、年俸500万ドル+出来高300万ドルの1年契約でボストン・レッドソックスへ入団[13]。この年のレッドソックスの補強方針は、ジョン・スモルツ斎藤隆など前年に怪我で長期欠場したベテランを割安な価格でかき集めるというもので、ペニーの獲得もその動きの一環であった[14]。レッドソックスでは24試合に先発。しかし、初登板となった4月11日のエンゼルス戦で6回3失点で降板して以降、防御率が4.50より良くなることはなかった。8月21日のヤンキース戦で4回8失点KOとなると、チームはペニーに代わってティム・ウェイクフィールドをローテーションに入れた。結局、本人の希望もあり8月27日にレッドソックスは新加入のビリー・ワグナーと入れ替える形でペニーを解雇した[15]
ジャイアンツ時代

2009年8月31日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ[16]。9月2日のフィリーズ戦で移籍後初登板し、シーズン終了まで6試合に先発して4勝1敗・防御率2.59と好投した。しかしチームは9月の1か月間を13勝14敗と負け越し、ワイルドカードを争っていたロッキーズに差をつけられてポストシーズン進出を逃した。オフの11月5日にFAとなった。
カージナルス時代カージナルス時代(2010年)

2009年12月8日にセントルイス・カージナルスと750万ドル+出来高150万ドルの1年契約を結んだ[17]

2010年はカージナルスの先発ローテーション3番手としてのシーズン開幕を迎える。しかし5月21日のエンゼルス戦、3回裏に打席に立ったペニーはジョエル・ピネイロから満塁本塁打を放ったが、その直後の投球練習中に右広背筋の張りを訴え、4回表のマウンドに立つことなく途中交代[18]。その後故障者リスト入りし、復帰できないままシーズンを終えることとなった。オフの11月1日にFAとなった。
タイガース時代

2011年1月18日にデトロイト・タイガースと300万ドル+出来高300万ドルの1年契約を結んだ[19]。打線の援護に恵まれ2年振り6度目の2桁勝利を記録したが内容は悪く、後半戦は防御率6.53、WHIP1.80であった。結局、防御率(5.30)、WHIP(1.56)、奪三振率(3.67)、K/BB(1.19)、被打率(.306)、空振り率(11.7%)、被WH率(データ会社が集計した項目で、投球を芯で捕らえられた率)など多数の項目で両リーグワーストであった。シーズン後の10月30日にFAとなったが、獲得を示すMLB球団は無かった。
ソフトバンク時代

2012年2月5日、福岡ソフトバンクホークスと入団契約したと発表された[20]。年俸は2億2500万円(推定)[21]。背番号は31。メジャーで最多勝利をあげた事がある外国人枠投手の入団はNPB初[22]

開幕5戦目の4月4日の楽天戦(宮城)で来日初先発。雪が少し降る中、半袖で登板するも3回1/3で64球6失点(自責点4)被安打7四死球3、5盗塁され敗戦投手となる[23]。この日盗塁を決めた聖澤諒によるとたった2球でクセを見破ったという。試合後に、故障歴のある右肩の痛みを訴えたため、出場選手登録を抹消、同月6日に福岡市内の病院で右肩の精密検査を受けたところ、「異常なし」と診断された[24]


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