ブラジル
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ルセフ大統領の職務が停止される間、ブラジル民主運動党ミシェル・テメル副大統領が大統領代行を務めた[15]。テメル大統領代行は労働党閣僚を排除し、最大野党の中道右派社会民主党の閣僚を抜擢し、実質的に13年ぶりの政権交代となった。親米緊縮財政政策をとり、国営企業民営化公務員や社会保障削減などのウォール街をはじめとした国際金融市場が求める政策の実行を表明するなど、カルドーゾ政権時代の新自由主義政策への回帰となった[16]。しかし、与野党問わず汚職も蔓延しており政治的には混乱期に突入している。

そして、テメル大統領自身も収賄罪で起訴されるなど[17]、ルセフ前大統領に続いて弾劾を求める動きが活発化している[18]。このように、有力政治家が相次いで汚職の捜査対処になり、ブラジルの政治は大混乱期を迎え国民の信頼を完全になくしている。

2019年にジャイール・ボルソナーロが大統領に就任[19]シカゴ学派の経済学者のパウロ・ゲデスをブレインに新自由主義緊縮財政、軍政の再評価、親米外交など、これまでのルーラ政権以来続いた労働者党政権の逆の政策を行うと主張しており、その過激な発言からは「ブラジルのトランプ」ともいわれる。
連邦議会襲撃

2022年10月の大統領選で、ボルソナーロ大統領がルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ(ルラ大統領)に敗北したことを正式に認めていないことが、引き金となった政治的対立が原因で、2023年1月8日には多数のボルソナーロ支持者が連邦議会を襲撃した[20]

本事件は発生から2年前の2021年1月6日、アメリカ合衆国で発生したドナルド・トランプが2020年の選挙における民主党への敗北を正式に認められないことが原因で、ドナルド・トランプ大統領の支持者が合衆国議会襲撃事件との襲撃理由や日程など数多くの類似性が世界中で指摘[注釈 3]された。
襲撃事件後の政治

ルラ大統領は、襲撃事件を強く非難した。
政治プラナルト宮殿国会議事堂連邦最高裁判所 ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ大統領詳細は「ブラジルの政治(ポルトガル語版、英語版)」を参照

大統領制を敷き、大統領を元首とする連邦共和制となっている。

東西冷戦期の1964年から1985年まで親西側の軍事政権下にあった。なお、軍事政権下の当時から現在にいたるまで、官僚や政治家、警察の腐敗や汚職は拡がったままである。
行政

大統領および副大統領の任期は4年で、一度限りにおいて再選が認められている(つまり、3選は憲法で禁止されている)。大統領は国会により弾劾されることが可能である。

現在は、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ大統領(2023年1月1日就任)。現行憲法は1988年憲法である。「1988年ブラジル憲法(ポルトガル語版)」も参照
立法

議会は上院(元老院、定数81)・下院(代議院、定数513)の二院制である。
政党詳細は「ブラジルの政党」を参照

労働者党(PT)、ブラジル民主運動党(PMDB)、進歩党(PP)、ブラジル社会民主党(PSDB)などがある。
司法.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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投票権

投票は18歳から70歳までの読み書きができるすべての国民に義務づけられている(義務投票制)。希望すれば16歳以上、もしくは70歳を超える国民や読み書きのできない国民も投票することができる。
政権

2003年1月にルーラ政権が発足した。元労働組合の指導者だったルーラは「飢餓ゼロ」計画を打ち上げ、貧困家庭向けの食料援助や援助金制度などを推進した。貧困家庭の生活水準改善を着実に進め、経済発展に取り残されていた内陸部へのインフラ整備も進みつつある。外交面では、南米統合へのリーダーシップも発揮した。2006年6月24日にルーラ大統領は政権与党の労働党の全国大会で大統領候補指名を受託し、10月の大統領選挙で貧困層の圧倒的な支持を得て再選した。

ルーラ政権下では2014 FIFAワールドカップブラジル大会や2016年リオデジャネイロオリンピックという二大スポーツイベントの招致に成功した。

2011年1月1日からは労働者党出身のジルマ・ルセフ新政権が発足し、ルーラの政策を受け継いでいたが、2016年5月12日以降はミシェル・テメル副大統領が大統領代行を務める。

2019年1月1日よりジャイール・ボルソナーロ大統領が政権を担った。長らく左派が政権を占めていた国で生まれた極右の大統領の登場に国内外で賛否両論が巻き起こった。「年金改革」と「汚職や犯罪との戦い」を掲げ、治安強化と軍政賛美の姿勢を見せている。

2022年ブラジル総選挙では、ルーラ元大統領が当選した[21]
国際関係ブラジルが外交使節を派遣している諸国の一覧図詳細は「ブラジルの国際関係(ポルトガル語版、英語版)」を参照

独立直後から旧宗主国だったポルトガルに代わって莫大なイギリスの投資を受け、「老いた母(ポルトガル)の代わりに金持ちの継母(イギリス)を得た」と表現されるほどの飛躍的な経済的発展を遂げた。また、独立直後からウルグアイをめぐってアルゼンチンとシスプラティーナ戦争を起こし、バンダ・オリエンタル(シスプラチナ州)がウルグアイとして独立するなどの失敗もあったが、それでもウルグアイへの影響力は大きく、大戦争終結後は植民地時代のウルグアイの領域の大きな部分(ウルグアイ川左岸の東ミシオネスなど)をブラジルに併合することを認めさせた。

1860年代にパラグアイ戦争が勃発すると、親英政策のもとにパラグアイを完膚なきまでに破壊し尽くした。戦争が終わるとパラグアイの領土は一部ブラジルに割譲され、パラグアイそのものも政治的にブラジルの強い影響に置かれることになった。その後はリオ・ブランコ男爵の尽力などもあり、ギアナ三国、ベネスエラ、コロンビア、ボリビアなどの周辺国からアマゾンの辺境地を獲得することに躍起となった。アメリカ合衆国の後ろ盾を得る形で併合されたアマゾンの現アクレ州をめぐるボリビアとの争いでは、アクレ共和国のような傀儡政権が樹立されることもあった。

20世紀前後から周囲をスペイン語圏諸国に囲まれていることの孤立感、および当時急速な発展を遂げていたアルゼンチンの勃興などに対処するために親米政策を採用し、アメリカ合衆国も遠交近攻政策に基づいて中央アメリカカリブ海のアメリカ合衆国による支配権確立のためにブラジルとの友好を望んだため、伯米両国の関係は非常に友好的なものとなった。


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