高校卒業後は大成設備に工事係として就職したが、「楽器が好き」との思いが強まり半年後に退社、楽器店に再就職する[4]。その後、24歳ごろ河合楽器ピアノ調律技術者養成所にてピアノ調律を学び[6]、ピアノ調律師に転向。そのかたわら、アマチュアで音楽活動も続けていた[4]。 1980年、当時所属していたバンドメンバーから「バンドの宣伝になるから」と日本テレビの『お笑いスター誕生!!』にコンビでの出演を誘われる。数日間2人でコントの練習を重ねたが当日になって相方が出場を拒否したため、1人での出演となった[7]。同年8月23日に小柳トムの名で出演し、警察官「小柳巡査」を演じる『お巡りさんコント』を披露。その後10週勝ち抜き、同番組5人目のグランプリとなり、コメディアンとしての活動を始めた。 ちなみに当時警官をネタでイジるのはテレビ業界でも御法度とも言われたが、出場後街で実際の警官に会うと好意的に接してくれたという[注釈 1]。またこの頃、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の巻末解説も「お巡りさんコントの人」として執筆している(17巻)。 先述の通りバンドの宣伝や将来音楽の道に進むための足がかりとして出演していたため、『お笑いスタ誕』では好き勝手にネタをやっていた。3度目の挑戦の際、10週目にどうしてもやりたいテーマだった空港建設に関する「成田闘争」をモチーフにしたネタをやり、グランプリを獲得[注釈 2]。ちなみにその後所属バンドに戻ろうとしたが、知らぬ間に解散していたという[7]。 80年代前半には新宿御苑の「昆」という店でとんねるずやコロッケ、『お笑いスタ誕』で放送作家をしていた近藤伸明(Bro.KONE)と酒を飲んだり、ダンスを踊っているのを、 萩原健一と倍賞美津子が見ていたという[7]。なお、新作コントを月一本のペースで作りネタを書いた台本を共演者やお笑いタレントに見せて笑わせており、2002年と2003年にはコントライブ「小柳トムの吉田」、「たった一人で出来ること」を開催している。 俳優としては、性格俳優として映画「俺はおまわり君」(1981年)から「密告は歌う」(2021年、WOWOWプライム)まで多くの作品に出演している[8]。近年はミュージカルへの出演が多い。 1983年、同業者で歌手、コメディアンの近藤伸明(現 Bro.KONE(ブラザー・コーン))とバブルガム・ブラザーズを結成。ソウル、レゲエ調のシングル「WON'T BE LONG」を90年にリリースし翌年91年にヒット、最終的にミリオンセラーとなった(累計170万枚)[9]。1991年大晦日には『NHK紅白歌合戦』に初出場した(HOUND DOGの出場辞退による)。「バブルガム・ブラザーズ#来歴・人物」も参照 1993年にソロ・ミニアルバム『手のひらがまだ小さかった頃、俺たちも神様だった』をリリース(Bro.KORNもほぼ同時期に、ソロ・ミニアルバム『MIRAKLE』をリリース)。 1995年にバブルガム・ブラザーズの活動と平行しソロ活動も開始、アルバムもリリース。この時期には、mc.A・Tとのユニット「m.c.A.T'n K.T」を結成。また元Human SoulのJaye公山とSilky藤野とのユニット「REAL BLOOD」を結成。1999年にアルバム『REAL BLOOD』をリリース。メンバー自身が手売りするというものであった。 2000年、トムのオリジナルミュージカル『Miracle Blind Boys』を上演。このミュージカルにREAL BLOODプラス1としてクラシック界からルーサー“No.1”市村がベースボーカルとして参加。以後そのままREAL BLOODメンバーとなる。2003年、3枚目のアルバム『±0』をリリース。 なおバブルガム・ブラザーズは解散はしておらず、長く活動を停止していた期間を挟み、2008年より活動を再開した。 トムのマネジメントは「スターダストプロモーション」制作1部、所属レーベルはSDRだったが、2020年11月30日付で円満退社[10]。 2020年12月1日、個人事務所の株式会社106(イチレーロク)を設立。 2021年2月14日、ブラザートム・オフィシャル・ホームページを開設。 読み聞かせの活動を行い、ダンサーとコラボをしたり、ジャズの曲をバックに読み聞かせたりというパフォーマンスを披露している[11]。2005年駒澤短期大学仏教科二部に社会人入試で合格。50歳目前で大学に行った理由は仕事帰りにお酒を飲む毎日に飽きたことと全然知らない人に会ってみたいから。アロハシャツが正装で、大学の面接の際にもアロハシャツを着ていったというエピソードがある[12]。
コメディアン/俳優
音楽活動
読み聞かせ/他の活動
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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