ブライアン・ジョーンズ
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奴より才能のない人間には未だに会ったことがない」とまで言い切っており[20]、ワッツもまた「皆が曲を作っていてもブライアンは全く頼りにならなかった」と語っている[30]。だがストーンズの作曲クレジットは、必ずしも正確に表記されない事があり[注釈 2]、実際にはジョーンズが書いた曲でも、クレジットされなかった可能性がある。1967年にはドイツの映画『Mord und Totschlag(英題:A Degree Of Murder)』(フォルカー・シュレンドルフ監督、アニタ・パレンバーグ主演)の音楽を担当している。だがこの映画はソフト化されておらず、サウンドトラック盤も発売されていない。

ジョーンズはストーンズを純粋なR&Bバンドと見なしており、ジャガーも「ブライアンは排他的で音楽観もすごく狭量だった。チャック・ベリーの曲とかやりたくなかったんじゃないかな」[20]と語っている事から、R&B以外の音楽には興味を示さなかったと見られる。一方でジャガーは「古いR&Bのカバーばかりしてた頃は、本領を発揮してるって感じがしていなかった」[31]とも語っており、このあたりにジョーンズの志向する音楽とストーンズの進める音楽性に乖離があったことが窺える。
人物

ジャガーはジョーンズについて「奴は周りの全ての人間を本当にひどい目に合わせた」、「精神的に不安定で、いつもイライラしていた。才能はあったがすごく偏執的な性格だった」、「俺が注目を浴びるともの凄く嫉妬した」[9][20]と、その人となりを酷評している。リチャーズも「ブライアンはすべてに不満を持ち、いつしか音楽を作る事をやめた。人を裏切り、自分はスターになりたがった」[32]と話す。ワッツもまた「一緒にいて楽しい奴じゃなかった」[30]と語っている。60年代後半のストーンズ内の人間関係をよく知るトム・キーロックは「ブライアンには何をしても弱気な面と、誰にでも平気で嘘をつく悪党の2面性があった」「特に薬物に関しては信用できなかった。彼のことは好きだったが生まれついての嘘つきだった事が悲しい」と打ち明けている[33]。ストーンズのメンバーで唯一、終始友好的な付き合いをしていたのがワイマンである。ワイマンはジョーンズの解雇に最後まで反対していたと言われている。

一方でストーンズと親交のあったビートルズのメンバーは、皆一様にジョーンズを高く評している。特に同じウェールズ系のジョージ・ハリスンは「ブライアンにはミックとキースがいて、僕にはポールとジョンがいた。僕らはそれぞれのバンドの中で同じような位置にいた」と、かなり親近感を持っていたようである。ポール・マッカートニーも「ブライアンは神経質ですごくシャイで、とても真面目な人間だった。麻薬の影響か、ちょっと手が震えてた。でもいい奴だったよ」と語っている。だが晩年のジョーンズとはやはり上手く付き合うことは難しかったようで、ジョン・レノンは「いつしか誰もがブライアンからの電話を怖がるようになった。彼からの電話といえば何かトラブルに決まってたからね」と告白している[34]ザ・フーピート・タウンゼントもジョーンズを好意的に語る一人である。タウンゼントによりと、1963年に初めて面会したデビュー前のザ・フーに対し、ジョーンズは「手助けできることがあればなんでもする」と述べたという[35]。タウンゼントはジョーンズの死後、彼に捧げる曲を製作したが発売しなかった[27]

ジョーンズはストーンズのリーダーの座に相当こだわっていたようであり、選考の応募書類を作成する場合には、自身がバンドのリーダーである旨も記入していた[8]。だがジャガーは「奴がリーダーだった事なんて一度もない」[20]と語っており、ワッツも「ブライアンにはバンドを率いる能力なんてなかった」[30]としている。晩年のジョーンズは周囲からはかなり冷遇されていたようで、1967年にジョーンズが逮捕され、保釈された時に彼を心配して迎えに来る者は誰もいなかったという。キーロックはそのときの事を「あの日はブライアンがとてもかわいそうでならなかった」と回想している[15]。彼の最後の出演舞台となったロックンロール・サーカスも、ジョーンズは直前に「皆が俺に冷たくするから出たくない」と、映像監督のマイケル・リンゼイ=ホッグに泣き言を言ってきたという[36]。同じくロックンロール・サーカスに参加したタウンゼントは「ブライアンは舞台袖で涙を流していた。キースはそれを見てみぬふりをしていた」と語っている[37]。ただし、同じくロックンロール・サーカスに参加していたキース・ムーンと分け隔てなく談笑できた事がジョーンズの唯一の救いだった様である。ジャガーも「仲間をクビにして気持ちがいい訳ないだろ。でもそうせざるを得なかった。罪の意識とかはないけど…俺達、ある意味ブライアンを虐めてたんだよ」と、ジョーンズを冷遇した事を認めると同時にジョーンズが必要不可欠な存在であった事も認めている[20]
交友関係

初期のストーンズのメンバーの中では、ジョーンズは最も多くのミュージシャン達と交流を持っていた。彼の師とも言えるアレクシス・コーナーは、ジョーンズと、ジャガーおよびリチャーズを引き合わせるきっかけを作った人物でもある[6]。また、ビートルズと初めて会った時、ジョーンズはジョン・レノンがハーモニカ兼コーラス低音部の担当である事を見抜いた[38]


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