ブライアン・ジョーンズ
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彼らとの共演は、ジャガーやリチャーズへのあてつけでもあったという[29]。またキーロックは、ヘンドリックスの自宅でジョーンズとヘンドリックスのアコースティックギターでの即興演奏を聴いたが、それは度肝を抜かれるほど素晴らしいものだったという[29]。ヘンドリックスもまた、1970年にジョーンズと同じく27歳で死亡している。ボブ・ディランとも交流があったが、1966年5月に初めて会った時、ジョーンズとリチャーズは泥酔状態で、二人はディランに「『ライク・ア・ローリング・ストーン』は俺達に対する侮辱だ」と因縁をつけ、大喧嘩になった[40]。ディランの「やせっぽちのバラッド」の歌詞にある「ミスター・ジョーンズ」とは、ジョーンズを指すとされている。

冒険作家のC・W・ニコルは、学生時代の先輩に当たる。同じウェールズ人同士ということもあって目をかけていたが、ジョーンズが少女を妊娠させた事に憤慨し、それ以降連絡を絶った。だがニコルはそれでもジョーンズの行く末を案じており、彼がストーンズとして活動している事を知ってからもそれは変わらなかった。ニコルがジョーンズの訃報を知ったのは、エチオピア自然保護官をしている時だった。パトロールの途中で立ち寄ったパブで、観光客からジョーンズの死を聞かされ、アラーキ(エチオピアのテキーラ)を呷りながら涙を流したという[41]
女性関係

ジョーンズは性的に早熟であり、派手な女性関係を持っていた。16歳の時には、早くも14歳の少女を妊娠させている[42]。ジョーンズは20歳までに3人の女性に1人ずつ子供を産ませ、判明しているだけで5人の私生児をもうけたが[43]、どの子に対しても最後まで責任を持つことはなかった。ジョーンズの5番目の子供、ジュリアンを生んだリンダ・ローレンスは、息子を伴ってジョーンズの葬儀に参列している[27]

特によく知られている女優のアニタ・パレンバーグとの交際は、1965年9月から始まった[44]。パレンバーグとは結婚の噂まで出たが、ジョーンズは結婚については否定しながらも「結婚についてはじっくり考えてきた。アニタは俺が真剣になった初めての女だから」と1965年当時の取材で語っている[45]。だが、やがてパレンバーグからも愛想を尽かされることになる。2人が別れるきっかけとなったのは、1967年3月のモロッコ旅行中のことだった。旅の途中で病気になり入院したジョーンズがいない隙に、パレンバーグは同行していたリチャーズと恋仲になっていた。その後回復したジョーンズがその事実を知り、2人は大喧嘩をする。そして3月15日の夜、泥酔したジョーンズは怪しい売春婦2人をホテルに連れてきて、パレンバーグに彼女らと性行為をするように命令した。パレンバーグは当然拒否したが、激昂したジョーンズはホテルの部屋を破壊し始めた。パレンバーグは服をつかんでリチャーズの部屋へ逃げ込んだ。この一件で2人の関係は終わり、その後パレンバーグはリチャーズと交際を始める。この旅行に同行していたキーロックは「これがジョーンズが駄目になっていく始まりだった。本人もその事に気付いていただろう」と語っている[46]

パレンバーグと別れた後、ジョーンズはモデルのスキ・ポワティエと交際を始める[47]。ポワティエはジョーンズの死には関与しなかったが、葬儀には参列している[27]。ポワティエはその後1981年に自動車事故で死亡している。ジョーンズの最後の交際相手となったアンナ・ウォーリンは、プールで死亡しているジョーンズを発見している[48]
他殺説

1994年、ジョーンズは殺されたという説が『Paint It Black - The Murder of Brian Jones』と『Who Killed Christopher Robin?』という2冊の本を通じて広まった。これらによれば、当時ジョーンズの自宅の修理をしていたフランク・サラグッドが、ジョーンズを殺したとキーロックに告白したというものである(サラグッドは1993年に死亡している)[49]。実際にジョーンズの最期の瞬間を目撃した者はいないため、この説は説得力を持たれ瞬く間に拡大していった。2005年に公開されたジョーンズの伝記映画『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男』(スティーヴン・ウーリー:監督)ではこの他殺説を採用している。

2009年警察はジョーンズの死について再捜査する可能性がある事を発表した。前年の2008年に、ジャーナリストのスコット・ジョーンズ(親類ではない)がジョーンズの死に関する調査報告書を警察に提供したという[50]。だがこの一報以降、この件に関する続報は一切出てきていない。

ジャガーは他殺説について「奴はプールに溺れて死んだのさ。他の事は誰かが金儲けのために言ってるだけだよ」と一蹴している[30]
使用楽器
グレッチ・アニバーサリー
メジャー・デビュー時から1964年頃まで、メインで使用された。
ヴォックス・マークVI
ジョーンズのトレードマークにもなった、ティアドロップ型の変形ギター。ジョーンズは1964年のアメリカツアー中にこのギターを注文した[51]。だがこれ以前にも、1963年にバンドがヴォックスのアンプの無償提供と引き換えに撮った宣伝写真で、このギターを抱えるジョーンズの姿が残されている[52]
ギブソン・ファイヤーバード
上記のマークVIに代わり、1965年頃から主に使用された。


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