特によく知られている女優のアニタ・パレンバーグとの交際は、1965年9月から始まった[44]。パレンバーグとは結婚の噂まで出たが、ジョーンズは結婚については否定しながらも「結婚についてはじっくり考えてきた。アニタは俺が真剣になった初めての女だから」と1965年当時の取材で語っている[45]。だが、やがてパレンバーグからも愛想を尽かされることになる。2人が別れるきっかけとなったのは、1967年3月のモロッコ旅行中のことだった。旅の途中で病気になり入院したジョーンズがいない隙に、パレンバーグは同行していたリチャーズと恋仲になっていた。その後回復したジョーンズがその事実を知り、2人は大喧嘩をする。そして3月15日の夜、泥酔したジョーンズは怪しい売春婦2人をホテルに連れてきて、パレンバーグに彼女らと性行為をするように命令した。パレンバーグは当然拒否したが、激昂したジョーンズはホテルの部屋を破壊し始めた。パレンバーグは服をつかんでリチャーズの部屋へ逃げ込んだ。この一件で2人の関係は終わり、その後パレンバーグはリチャーズと交際を始める。この旅行に同行していたキーロックは「これがジョーンズが駄目になっていく始まりだった。本人もその事に気付いていただろう」と語っている[46]。
パレンバーグと別れた後、ジョーンズはモデルのスキ・ポワティエと交際を始める[47]。ポワティエはジョーンズの死には関与しなかったが、葬儀には参列している[27]。ポワティエはその後1981年に自動車事故で死亡している。ジョーンズの最後の交際相手となったアンナ・ウォーリンは、プールで死亡しているジョーンズを発見している[48]。 1994年、ジョーンズは殺されたという説が『Paint It Black - The Murder of Brian Jones』と『Who Killed Christopher Robin?』という2冊の本を通じて広まった。これらによれば、当時ジョーンズの自宅の修理をしていたフランク・サラグッドが、ジョーンズを殺したとキーロックに告白したというものである(サラグッドは1993年に死亡している)[49]。実際にジョーンズの最期の瞬間を目撃した者はいないため、この説は説得力を持たれ瞬く間に拡大していった。2005年に公開されたジョーンズの伝記映画『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男』(スティーヴン・ウーリー
他殺説
2009年、警察はジョーンズの死について再捜査する可能性がある事を発表した。前年の2008年に、ジャーナリストのスコット・ジョーンズ(親類ではない)がジョーンズの死に関する調査報告書を警察に提供したという[50]。だがこの一報以降、この件に関する続報は一切出てきていない。
ジャガーは他殺説について「奴はプールに溺れて死んだのさ。他の事は誰かが金儲けのために言ってるだけだよ」と一蹴している[30]。
使用楽器
グレッチ・アニバーサリー
メジャー・デビュー時から1964年頃まで、メインで使用された。
ヴォックス・マークVI
ジョーンズのトレードマークにもなった、ティアドロップ型の変形ギター。ジョーンズは1964年のアメリカツアー中にこのギターを注文した[51]。だがこれ以前にも、1963年にバンドがヴォックスのアンプの無償提供と引き換えに撮った宣伝写真で、このギターを抱えるジョーンズの姿が残されている[52]。
ギブソン・ファイヤーバード
上記のマークVIに代わり、1965年頃から主に使用された。リバースボディ、ノンリバースボディ両方を所有していた。
ソロアルバム
『ジャジューカ』 - Brian Jones Presents the Pipes Of Pan At Joujouka (1971年)
ジョーンズが1968年夏にモロッコを旅行した際に現地に伝わる民族音楽を自ら録音し、ロンドンのスタジオで編集や加工を加えてまとめた作品。死の直前の1969年6月に完成させた。自身は演奏に加わっていないが、原曲に対してかなり恣意的なアレンジが施されている。ジョーンズがこの音源をどのように使用するつもりだったのか(そもそもソロ名義で発表するつもりだったのかも含め)不明だが、1980年代後半からワールドミュージックを加工し、ポップミュージックに昇華させるという手法が広まった事を考慮すると、時代を先取りした最先端の作品であったと言える。オリジナル盤のジャケットに使用されていた絵画が版権の問題で使用できなくなったため、CD化の際にデザインが改められた[53]。
関連項目
ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男 (2005年のイギリス映画)
ジョージ・ハリスン
ビートルズ
ザ・フー
キンクス
シタール
ヒッピー
27クラブ
脚注
注釈[脚注の使い方]^ フルネームをLewis Brian Hopkins Jonesとする資料もある。Jeff Perkins and Michael Heatley "Rolling Stones - Uncensored On the Record"など。
^ ビル・ワイマンが「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」の作曲に関わっている事を主張したり、テイラーも「ムーンライト・マイル」や「タイム・ウェイツ・フォー・ノー・ワン」といった曲で作曲に関わったとされているが、いずれもクレジットされていない。