しかし時代を経ると、他方世界という見方が展開し、釈迦以外にも数多くの仏陀が同時に他の世界で存在している事を説く仏典が現れた。例を挙げると、初期経典では「根本説一切有部毘奈耶薬事」など、大乗仏典では『阿弥陀経』や『法華経』などである。
多くの仏教の宗派では、「ブッダ(仏陀)」は釈迦だけを指す場合が多く、悟りを得た人物を意味する場合は阿羅漢など別の呼び名が使われる。悟りを得た人物を「ブッダ」と呼ぶ場合があるが、これは仏教を含む沙門宗教に由来するもので、ヴェーダの宗教の伝統としてあるわけではない。 釈迦は自分の教説のなかで輪廻を超越する唯一神(主宰神、絶対神)の存在を認めなかった。その一方、経典のなかでは、従来は超越的な「神」(deva, 天部)としてインド民衆に崇拝されてきた存在が仏陀の教えに帰依する守護神として描かれている。その傾向は時代を経ると加速され、ヴェーダの宗教で「神」と呼ばれる多くの神々が護法善神として仏教神話の体系に組み込まれていった。また仏滅500年前後に大乗仏教が興隆すると、人々は超越的な神に似た観念を仏陀に投影するようにもなった。 釈迦が出世した当時のインド社会では、バラモン教が主流で、バラモン教では祭祀を中心とし神像を造らなかった。当時のインドでは仏教以外にも六師外道などの諸教もあったが、どれも尊像を造って祀るという習慣はなかった。したがって原始仏教もこの社会的背景の影響下にあった。そのため当初はレリーフなどでは、法輪で仏の存在を示していた。しかし、死後300年頃より彫像が作られはじめ、2019年現在は歴史上もっとも多くの彫像をもつ実在の人物となっている。ただし、死後300年を過ぎてから作られはじめたので実際の姿ではない。仏陀の顔も身体つきも国や時代によって異なる。 仏典では仏陀をさまざまな表現で呼んでおり、これを十号という。 ブッダが漢字に音写された「浮屠(ふと)」、「浮図(ふと)」が日本に伝えられる過程で、「ふと」という読みに「け」を付し、「ふ」は「ほ」に近づいて、「ほとけ」の語が生まれた[8]と言われる。一方、古代朝鮮語の*Pwutukye(中世朝鮮語形は??(Pwuthye))や満州語の.mw-parser-output .font-mong{font-family:"Menk Hawang Tig","Menk Qagan Tig","Menk Garqag Tig","Menk Har_a Tig","Menk Scnin Tig","Oyun Gurban Ulus Tig","Oyun Qagan Tig","Oyun Garqag Tig","Oyun Har_a Tig","Oyun Scnin Tig","Oyun Agula Tig","Mongolian Baiti","Noto Sans Mongolian","Mongolian Universal White","Mongol Usug","Mongolian White","MongolianScript","Code2000","Menksoft Qagan"}.mw-parser-output .font-mong-mnc,.mw-parser-output .font-mong:lang(mnc-Mong),.mw-parser-output .font-mong:lang(dta-Mong),.mw-parser-output .font-mong:lang(sjo-Mong){font-family:"Abkai Xanyan","Abkai Xanyan LA","Abkai Xanyan VT","Abkai Xanyan XX","Abkai Xanyan SC","Abkai Buleku","Daicing White","Mongolian Baiti","Noto Sans Mongolian","Mongolian Universal White"}??????(Fucihi)との関連性も指摘されている[9][10]。 日本では「ほとけ」は、死者またはその霊をも意味する[11]。
仏陀への信仰
十号詳細は「十号」を参照
如来(にょらい、梵: tath?gata) - 多陀阿伽度と音写されている。真如より来現した人。真実に達した者[4]。
応供(おうぐ、梵: arhat) - 阿羅訶、阿羅漢と音写されている。煩悩の尽きた者。
明行足
善逝(ぜんぜい、梵: sugata) - 智慧によって迷妄を断じ世間を出た者。
世間解(せけんげ、梵: lokavid) - 世間・出世間における因果の理を解了する者。
無上士(むじょうし、梵: anuttara) - 悟りの最高位である仏陀の悟りを開いた事から悟りに上が無いと言う意味。
調御丈夫(じょうごじょうぶ、梵: puru?ada?yas?rathi) - 御者が馬を調御するように、衆生を調伏制御して悟りに至らせる者。
天人師(てんにんし、梵: ??st?-devamanu?y????) - 天人の師となる者。
仏(ぶつ、梵: buddha) - 煩悩を滅し、無明を断尽し、自ら悟り、他者を悟らせる者。
世尊(せそん、梵: bhagavat) - 福徳あるひと。幸いあるもの[4]。
日本語の「ほとけ」