経済的にはブカレストはルーマニアではもっとも豊かな都市で[11]、東ヨーロッパでは産業や交通要衝の中枢都市の一つである。ブカレストには様々な都市機能が集約されている。自治体としてのブカレストはブカレスト市(Municipiul Bucure?ti)として首都であり県と同格の特別な地位が与えられ、市内は6つの行政区(セクトール)に分けられている。 ブカレスト/ブクレシュティ Bucure?ti [buku?re?t?]
呼称
初期の学者は様々な説を提唱しており、オスマンの旅行家エヴリヤ・チェレビはある部族のBeni-Kurei?からEbu-Kari?と名付けられたと述べている。1781年にI. Fr. Sulzerが bucurie (喜び)、bucuros(喜びに満ちた)、a bucura(喜ばしくなること)に関連していると主張し、19世紀にウィーンで出版された本には"Bukovie"(ブナ林)から来た名称であるという仮説が立てられている[16]。言語学者 泉井久之助は、現地名 Bucure?ti について、「もとは Bucure-ski から来ている。その bucurie (ブクリェ)は「喜び、歓喜」である。これに名詞を形容詞化する接尾辞の一つであった -sk- がつけられて、「歓喜の(都)」というのが、十四?十五世紀における建都のときの命名の意味であった」と述べている[17]。現在の公式の自治体名はブカレスト市を意味するMunicipiul Bucure?tiである。ブカレスト出身者やブカレスト在住者はブクレシュテアン(ルーマニア語: bucure?tean [bukure??te?an])と呼ばれる。
マジャル(ハンガリー)語ではブカレシュト(Bukarest)、標準ドイツ語ではブーカレスト(Bukarest)という。日本ではルーマニア語名に基づく「ブクレシュティ」および標準ドイツ語名に基づく「ブカレスト」という2つの呼称が混用されているが、日本の主だった報道機関各社などは「ブカレスト」を用いており、本稿では以下「ブカレスト」と表記する。
地理
地勢ドゥンボヴィツァ川
ブカレストはドナウ川の支流であるアルジェシュ川に流れ込むドゥンボヴィツァ川の河畔に位置する。ブカレスト周辺部にはいくつかの湖があり、主な湖はヘラストラウ湖、フロレアスカ湖、テイ湖、コレンティーナ湖で、市の北部をまたぎドゥンボヴィツァ川の支流のコレンティーナ川に沿って伸びている。市の中心部のチシュミジウ公園には人工のチシュミジウ湖がある。チシュミジウ公園(英語版)は1847年に開園し、たびたび著名な詩人や作家が訪れた。公園はドイツ人建築家カールF.W. マイヤー(Carl F.W. Meyer)により設計され現在ではブカレスト中心部の主要な憩いの場となっている。チシュミジウ公園と並び、ブカレストにヘラストラウ公園やブカレスト植物園などいくつかの公園や庭園が含まれる。ヘラストラウ公園は市の北部に位置し、ヘラストラウ湖の周囲に位置しルーマニア中から集めた農家を展示するオープンエアのヴィレッジミュージアムもある。植物園はこの種の施設ではルーマニア最大のもので1万種を超える植物が展示されている。植物園はかつて、王室の娯楽のための公園であった[18]。
ブカレストはワラキア平原の南東部に位置する。かつてはヴラシエイの森に覆われていたが、後にこれらの森林は取り除かれ肥沃で平坦な農地となった。多くの都市と共にブカレストは伝統的に、ローマと同じように7つの丘を持つ都市と考えられている。ブカレストの7つの丘はMihai Vod?、Dealul Mitropoliei、 Radu Vod?、Cotroceni、Spirei、V?c?re?ti、Sf. Gheorghe Nouとされる。
ブカレスト市の面積は 226平方キロメートル (87 sq mi)で、海抜は南東部のカツェル(C??elu)のドゥンボヴィツァ橋で55.8メートル (183.1 ft) 、セクトール6の ミリタリ教会で91.5 m (300.2 ft) ある。市域は比較的丸い形をしており、東西南北の軸が交わる場所はブカレスト大学広場付近である。ルーマニアの道路元標があるのは大学広場の丁度南側で聖ゲオルギイ広場(Pia?a Sfantul Gheorghe)の正面である。ブカレスト市域の半径は大学広場から市境まですべての方角で10?12kmである。
比較的最近までブカレストの周辺は大部分が都市化がされていなかったが、1989年以降新しい郊外部の建設がブカレスト周辺部のイルフォヴ県で始められている。さらに2010年代後半にはブカレスト都市圏の自治体の合併が行われることが考えられ、これにはイルファヴ県や他の県の自治体も含まれる[19]。