ブカレスト
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比較的最近までブカレストの周辺は大部分が都市化がされていなかったが、1989年以降新しい郊外部の建設がブカレスト周辺部のイルフォヴ県で始められている。さらに2010年代後半にはブカレスト都市圏の自治体の合併が行われることが考えられ、これにはイルファヴ県や他の県の自治体も含まれる[19]
気候

ブカレストの気候は大陸性気候ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(Dfa)に含まれる。ブカレストはワラキア平原に位置し、冬季には風が多いにもかかわらず都市化によりそれらは和らげられている。冬の気温は0 °C (32 °F)以下に下がり、時折?20 °C (?4 °F)以下になることもある。7月?8月の夏の平均気温はおよそ23 °C (73 °F)であるが実際には真夏に中心部ではしばしば35 °C (95 °F)から40 °C (104 °F)に達する。1945年8月20日には41.1℃を記録している[20]。夏は湿気が多いが、降水量は少なく時折、激しい雷雨に見舞われる。春や秋の平均気温は17 °C (63 °F)から22 °C (72 °F)でこの間の降水量は夏よりは多い傾向にあり雨は夏よりは頻繁に穏やかに降る。

ブカレスト(1981年 - 2010年)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)17.1
(62.8)24.1
(75.4)29.0
(84.2)32.2
(90)36.9
(98.4)39.0
(102.2)42.2
(108)41.0
(105.8)38.5
(101.3)35.2
(95.4)25.1
(77.2)18.4
(65.1)42.2
(108)
平均最高気温 °C (°F)2.8
(37)5.5
(41.9)11.4
(52.5)18.0
(64.4)24.0
(75.2)27.7
(81.9)29.8
(85.6)29.8
(85.6)24.6
(76.3)17.9
(64.2)9.8
(49.6)3.8
(38.8)17.1
(62.8)
日平均気温 °C (°F)?1.3
(29.7)0.4
(32.7)5.4
(41.7)11.2
(52.2)16.8
(62.2)20.6
(69.1)22.5
(72.5)22.0
(71.6)16.9
(62.4)11.0
(51.8)4.7
(40.5)0.2
(32.4)10.8
(51.4)
平均最低気温 °C (°F)?4.8
(23.4)?4.0
(24.8)0.1
(32.2)4.9
(40.8)9.6
(49.3)13.6
(56.5)15.4
(59.7)14.9
(58.8)10.5
(50.9)5.4
(41.7)0.6
(33.1)?3.4
(25.9)5.2
(41.4)
最低気温記録 °C (°F)?32.2
(?26)?29.0
(?20.2)?21.7
(?7.1)?9.5
(14.9)?1.1
(30)4.5
(40.1)7.4
(45.3)5.2
(41.4)?3.1
(26.4)?8.0
(17.6)?19.4
(?2.9)?25.6
(?14.1)?32.2
(?26)
降水量 mm (inch)37
(1.46)37
(1.46)44
(1.73)50
(1.97)56
(2.2)83
(3.27)70
(2.76)56
(2.2)64
(2.52)53
(2.09)46
(1.81)48
(1.89)643
(25.31)
降雪量 cm (inch)13.7
(5.39)11.0
(4.33)10.5
(4.13)1.5
(0.59)0.0
(0)0.0
(0)0.0
(0)0.0
(0)0.0
(0)0.0
(0)8.8
(3.46)10.5
(4.13)56.0
(22.05)
平均降雨日数66911121198810109109
平均降雪日数87510.0300000.33731
湿度89837571697068687379858876
平均月間日照時間70.684.5138.0184.8246.3265.8289.2281.4224.1177.487.562.82,112.4
出典1:Pogoda.ru.net (average temperatures, humidity, precipitation, and snowy days)[21]
出典2:NOAA (snowfall and sunshine, 1961?1990),[22] Administra?ia Na?ional? de Meteorologie (extremes)[23]

歴史

古代のブカレストやイルフォヴの地は深いヴラシエイの森(英語版)に覆われていた。森林地帯のとくにコレンティーナ川やドゥンボヴィツァ川流域は小規模な旧石器時代の集落が点在していた。新石器時代にはグリナ文化と呼ばれる文化がブカレスト周辺では存在し、紀元前19世紀頃にはグメルニーツァ文化(英語版)にブカレスト周辺地域は含まれていた[24]。青銅器時代、グリナ文化、グメルニーツァ文化、テイ文化の3つの段階を経ていることがブカレストの土壌から導き出されている[25]

鉄器時代にはブカレスト周辺はケルト人やダキア人などインド・ヨーロッパ語族系を話す民族が居住していたと見られるがこの二つは同一なのかそれぞれ別なのかに関しては議論もある[26]。その後の文化の段階はダキア人に起因するもので、小規模なダキア人の居住地がブカレストの様々な場所から発見されている[27]。居住地は古代のギリシャ植民都市やローマ人と商業的なつながりがあり、古代ギリシャの硬貨が Lacul TeiやHer?str?uで発見され、ローマ由来の硬貨や宝石がGiule?tiや Lacul Teiで見つかっている[28]

ブカレストはローマの支配には入らず、ムンテニアが330年代のコンスタンティヌス1世の軍勢に短期間攻略されている。コンスタンティヌス、ウァレンスウァレンティニアヌス1世などの硬貨がブカレストの様々な場所で発見されている[29]。この地域の人口がローマ化された後に、最初のローマ軍のこの地域からの撤退と民族移動時代であったことが仮定されている。

スラヴ人がブカレスト周辺部に集落を築くとその痕跡は、イルフォヴIlfov(elha-ハンノキ属から)コレンティーナ、Snagov、Glina、Chiajnaなど現在も地名に残されている[30]。一部の研究者によればスラヴ人たちは既に暗黒時代と呼ばれた中世初期(英語版)までには文化的に同化していた[31]。この地域は681年から1000年にかけては第一次ブルガリア帝国の版図の一部であったとされる[32]。9世紀から12世紀にかけてのビザンティンの硬貨が様々な場所で発見されたことから商業的なつながりはビザンティン帝国により維持されていた[33]

その後はペチェネグクマン人、1241年にはモンゴル帝国により侵略 (en) されている[34]。その後はおそらくマジャル人と第二次ブルガリア帝国の間で争われた[35]

1459年にこの地に作られた城塞ワラキア公・ヴラド・ツェペシュの居城となった、というのがブカレストが史書に登場する最初である。以降、ヴォイヴォダであったミルチャ・チョバヌル(ルーマニア語版)によって王宮の夏の離宮として整備されていく。オスマン帝国の政策でムンテニアの重要性が増す中で、公国の都があったトゥルゴヴィシュテに比肩する都市へと成長していく。1698年、公国の都となり、貿易でも最重要都市になる。

1813年にはペストが猛威を振るう。ハプスブルク君主国1716年1737年1789年)、帝政ロシア1768年1806年)など度重なる侵攻を経験する。1828年からクリミア戦争の間は、ロシア軍政下に置かれる。1848年にはワラキアでクーデターが発生、オーストリア帝国の管理下に置かれるなど激動の時代を経験する。1847年3月23日の大火によりブカレストでは2,000戸の家屋が失われ、大火の後は再建が進められた[36]1868年のブカレスト

1861年、ワラキアとモルダヴィアが合同しこの新しい公国の都となる。さらに連合公国は1881年ルーマニア王国に発展、町の人口は劇的に増加した。絢爛たる建造物で都市が整備され、「東欧の小パリ」(Little Paris, "Micul Paris")と讃えられる国際的な都市に成長する。1900年のブカレスト

第一次世界大戦中の1916年12月6日に、町はドイツ軍によって占領され、首都はヤシに移転した。その後、連合軍によって1918年11月に奪還された。大戦後、大ルーマニアの首都となった。1941年には大規模なポグロムが発生。

第二次世界大戦の間、ブカレストは枢軸国の首都として攻撃対象となった。1941年6月26日には独ソ戦の開戦に伴い赤軍による空爆を受けた[37]ほか、戦争末期にはアメリカ軍とイギリス軍の重爆撃機によって大きな打撃を受け、その後ルーマニアは連合国に降伏した。1945年11月8日には、共産主義者が君主制主義者の集会を鎮圧する事件が起きた。

1967年に大統領に就任したニコラエ・チャウシェスクは、スピーレア教会、コトロチェニ修道院など中世から残る古い教会を含む多くの歴史的建造物を破壊し、無機質な社会主義的計画都市に代えていった。


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