フー・ファイターズ
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グラミー賞に31回ノミネートし、同賞を15回受賞[9]

バンド名の由来は、第二次世界大戦戦中における未確認飛行物体を指すスラング用語「フー・ファイター[10]。略称は、「FF」(エフエフ)、日本では「フーファイ」[11]
来歴.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の加筆が望まれています。
主宰デイヴ・グロール (2007年)

1994年秋、元ニルヴァーナのドラマーであるデイヴ・グロールは、予てより作り続けていた楽曲を携えてレコーディング、ほぼ独力でアルバムを完成させ、1995年にフー・ファイターズ名義でリリースする。

同時にバンドメンバーを集め、ギタリストにはニルヴァーナのツアー・メンバーだったパット・スメアを、リズム隊にはサニー・デイ・リアル・エステイトのネイト・メンデル(ベース)とウィリアム・ゴールドスミス(ドラム)を勧誘。グロール自身はボーカルとギターを担当するフロントマンとなった。

1997年には2作目の『ザ・カラー・アンド・ザ・シェイプ』をリリース。このアルバムのレコーディングでドラムパートの出来に満足していなかったグロールは、ロサンゼルスで録り直し、結果的にほとんどの曲でグロールがドラムを叩いた。ドラムのゴールドスミスは、グロールに「レコードは自分が叩くがバンドには残って欲しい」と言われるも、これに納得がいかず脱退。程なくしてスメアもツアーばかりの生活にモチベーションを失い脱退、代わりに旧友のフランツ・ストールが加入するが、バンドとしての一体感を得る事が出来ずに短期間で脱退してしまう。

1999年にはグロールとメンデルに、新ドラマーのテイラー・ホーキンスを加えたトリオ編成で『ゼア・イズ・ナッシング・レフト・トゥ・ルーズ』を発表。同年にオーディションの末、ギタリストのクリス・シフレットが加わったことで、ようやくメンバーが固定化された。

2006年にはツアーメンバーとしてパット・スメアが参加し、後に正式にバンドへ復帰した。

2021年、「ロックの殿堂」入り[12]

2022年3月26日(現地時間25日)、ドラマーのテイラー・ホーキンスが亡くなったことが、バンドの公式SNSから発表された。享年50歳。バンドは南米ツアーの最中で、当日はコロンビアボゴタでの公演を予定していた。死因は現時点では明らかになっていない。遺体からは薬物が検出された。[13][14][15]バンドは9月にイギリスとアメリカでテイラーのトリビュートライブを開催する。
メンバー

※2023年5月時点
現ラインナップ

デイヴ・グロール(Dave Grohl) ? ボーカルギタードラム (1994年? )

創設メンバー主宰者。元ニルヴァーナ、元スクリーム。

クリス・シフレット(Chris Shiflett)? ギター (1999年? )

ミー・ファースト・アンド・ザ・ギミー・ギミーズにJake Jackson名義で参加。元ノー・ユース・フォー・ア・ネイム

使用機材はフェンダー・Chris Shiflett Telecaster Deluxe等。

パット・スメア(Pat Smear)? ギター (1995年?1997年、サポート2005年?2010年、正規2010年? )

創設メンバー。ニルヴァーナ元サポートメンバー。元ジャームス。

ネイト・メンデル(Nate Mendel) ? ベース (1995年? )

創設メンバー。元サニー・デイ・リアル・エステイト

ラミ・ジャフィー(Rami Jaffee) - キーボード (サポート2005年?2017年、正規2017年? )

元ザ・ウォールフラワーズ。

ジョシュ・フリーズ(Josh Freese(英語版)) ? ドラムス (2023年? )


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