フンボルト大学ベルリン
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日本からも新興国において範を垂れるべき大学として多くの人材が学び、森?外北里柴三郎高橋順太郎寺田寅彦肥沼信次宮沢俊義といった日本の学術界を担う人材の留学が見られる。
第三帝国下の状況

1933年ナチスが政権をとりヴァイマル共和国が事実上崩壊すると、ドイツの他の大学同様、ナチスの教育機関と化した。この年の5月10日には、大学前のオペラ広場(現在のベーベル広場(ドイツ語版))において、20,000冊に及ぶ大学図書館の書籍が、退行的・体制批判的として、ヨーゼフ・ゲッベルス指導の下、SAの監視下焚書された。現在、この行為のモニュメント『焚書の記憶のための記念碑(空っぽの図書館)(ドイツ語版)』が広場の中央に建てられており、20,000冊分の空きをもった書架とハインリヒ・ハイネの作品からの以下の一節が記されたプレートを見ることができる。 "Das war ein Vorspiel nur, dort wo man Bucher verbrennt, verbrennt man am Ende auch Menschen"(これは、序章に過ぎなかった。本を焼く所は、遂には、人をも焼くのである)

焚書の記憶のための記念碑(空っぽの図書館)

記念碑の内部、夜間はライトアップされる。

ハイネの作品の一節が記されたプレート

1933年から1934年にかけて、職業官吏再建法(ドイツ語版、英語版)("Gesetz zur Wiederherstellung des Berufsbeamtentums" 略称:Berufsbeamtengesetz (BBG))により、約250人のユダヤ系の教授等が解職・解雇され、多くの学位が廃された。学生や研究者もナチスに抗するものは容赦なく放逐され、この時期にスタッフの約1/3は解雇されたと見られる。
第二次大戦終了後の再開とベルリン自由大学の分離.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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ドイツ敗戦後、ベルリンが戦勝4か国によって分割占領されると、当学は、ソ連占領地域である東ベルリンに位置することになった。ソ連占領当局が大学統制を強める中、これに反発する学生や同調する教授・研究者はマックス・プランク研究所などの協力を得て、1948年にベルリン西側占領地域のダーレム地区に新たな大学の運営を開始した。これがベルリン自由大学である。
東ドイツ時代

第二次世界大戦後は東ベルリン側に位置することになり、1949年に王名を嫌った共産主義政権によりフリードリヒ・ヴィルヘルム大学からフンボルト大学に改称された。そして、ドイツ民主共和国(DDR、東ドイツ)の崩壊まではドイツ社会主義統一党(SED)の厳格な思想統制の下に置かれた。民主的な反体制勢力が、大学キャンパスで拡大することを防ぐため、学生は党の方針への従順さに応じて選抜された。そのためか、学生や学者らは1989年の民主革命において、あまり重要な役割を担うことが無く、ドイツ再統一直前の1990年の時点においてでさえ、SEDの元党員でシュタージのスパイとの噂のあるハインリッヒ・フィンク(Heinrich Fink)を学長に選出するほどであった。
再統一から現在

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学部フンボルト大学・法学部の建物 (Gebaude der juristischen Fakultat)医学部の建物 (Gebaude der Charite)

フンボルト大学は、合計189の学部を擁し、大きく分けると、主に以下の9学部により構成される。それぞれの学部にいくつかの研究機関が含まれている。

Juristische Fakultat 法学部

Lebenswissenschaftliche Fakultat 生命科学部 (農学、庭園学、生物学心理学

Mathematisch-Naturwissenschaftliche Fakultat 理学部化学地理学計算機科学数学物理学

Philosophische Fakultat 哲学部哲学歴史学人類学図書館情報学

Sprach-Literaturwissenschaftliche Fakultat 言語・文学部(文学言語学スカンディナヴィア学、ロマンス学、イギリス・アメリカ研究、スラヴ・ハンガリー学、古典文学)

Kultur-Sozial-Bildungswissenschaftliche Fakultat 文化・社会・教育学部(社会学比較文化、アジア・アフリカ学、教育学スポーツ科学、音楽・メディア学、ジェンダー研究学、リハビリテーション科学、教育品質研究所)

Volks-Betriebswirtschaftswissenschaftliche Fakultat-人民経営学部経済学部

Theologische Fakultat 神学部

Charite-Universitatsmedizin Berlin 医学部シャリテー・ベルリン大学病院) (ベルリン自由大学との共同学部)

さらに、以下の独立研究機関が付属している。

Museum fur Naturkunde 自然博物館

Grosbritannien-Zentrum 英国研究センター

キャンパス
Campus Mitte (中央キャンパス)ベルリン中心部 (Berlin-Mitte im Luftbild)

中央キャンパスは、ほぼ全ての文系学部 (法学部、精神・人文科学、社会学、経済学など) の建物・研究施設が集中する、三つのフンボルト大学キャンパスの中で一番古いキャンパスである。名前の通りベルリンの街の中のミッテ地区に位置し、ベルリン国立歌劇場ベーベル広場、ジャンダルメンマルクト、ブランデンブルク門ムゼウムスインゼルなどといった観光地のすぐ近くに立地する。同キャンパス内にはサービスセンター (Studierenden-Service-Center)や、大学図書館も存在する。フンボルト大学・本館 (Hauptgebaude der HU Berlin)



Campus Nord (北キャンパス)

同キャンパスには第一に、農学部、庭園学、生物学にアジア・アフリカ学の研究施設が存在する。またフンボルト大学ベルリン自由大学の共同施設であり、ヨーロッパ最大の大学病院であるシャリテー・ベルリン大学病院、更にドイツ最大の自然博物館であるフンボルト博物館も同キャンパス上に位置する。シャリテー大学病院 (Universitatsklinik Charite)フンボルト博物館・恐竜の展示 (Museum fur Naturkunde)



Campus Adlershof (アドラースホーフ キャンパス)

理学部の研究機関は主に同キャンパス上に位置する。化学や物理学といった理系の研究機関が数多く存在し、今日では同キャンパスが位置する付近は、ヨーロッパ最大の科学工業技術団地の一つとなっている。


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