ストレートなストーリーテリングが志向されており、ムーアのスーパーヒーロー作品で顕著なメタフィクション性は弱められている[156]。広範な歴史的引喩が行われている一方で、後年の作品『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』のように先行作品のマッシュアップは行われておらず[157]、『プロメテア』のようにコミックメディアによる論説といった性格も薄い[69]。
物品のモチーフが反復されるのはムーア作品の特徴の一つである。本作ではブドウ、鋭利な器具、臓物などが様々なシーンで陰に陽に描かれている[122]。ブドウはガルの宗教的使命感と結び付けられており、心臓発作とともに神の啓示を垣間見るシーンや[158]、ロンドンの象徴を巡るツアー[159]、最初の殺人[160]などをつなげている。『タブー』連載時には、毎号に添えられたイラストのブドウが少しずつ減っていくことが結末へのカウントダウンとなっていた[161]。モチーフの反復は何かに追いかけられているような不安感を醸し出すだけでなく、「時間の構造性」のテーマを補強する役割も持っている[122]。 ムーアの過去作『ウォッチメン』と同じく、全編を通じてページ9分割を基本とした均質なコマ割りが行われており[69]、そのフォーマットの枠内で様々な演出が行われている。連続するコマが交互に二つの異なる出来事を描写するカットバックの技法は『Vフォー・ヴェンデッタ』などでも見られる特徴的なものである[162]。第8章32ページは3×3のマス目がカットバックによってチェス盤状に分けられ、縦横斜めどの方向に読んでも違和感がないように構成されている[163]。またいくつかの章の第1ページは、一見すると互いに脈絡のないコマが並んでいるだけに見える。しかし読み進んでいくと、それらのコマは後のページから無作為に切り取られたのだとわかる。この語りの手法には、主人公のガルが魔術的に時間を飛び越えるストーリーと並んで、読者の単線的な時間感覚を攪乱する意図があると分析されている[82]。 作者らの間には、近代コミック特有の映画的な語りの技法は題材にそぐわないという認識があった[50]。特にエディ・キャンベルはかねてから「映画から無批判に取り入れられた」コミックの技法に違和感を持っていた。その最たるものは、仮想的なカメラをあちこち動かしながら短いショットをつないでいくコマ割りの文法である。そのような、ウィル・アイズナー的なカットの多用は絵のロジックを寸断してしまうというのがキャンベルの持論だった。キャンベルが描きたいのは人体が細やかなボディーランゲージを交わす様子であり、そのためにはすべての動きを連続的に画面に収める必要があると考えていた[164]。またキャンベルは映画的で奇抜な視点からの構図も避けようとした。たとえばあるシーンでは[† 6]、無人の部屋を覗き込む警官を窓越しに見返す構図を指示されたのにもかかわらず、屋外の警官をすぐ横から観察する位置にカメラを置いた[165]。そのほか、登場人物の内心や画面外での会話などを伝えるキャプション(映画でいうボイスオーバー)も本作では排除されている[166]。 日本語版版元のみすず書房は本作を「日本の漫画とはまったく異なる方向の進化形」と紹介した[101]。差異はコマ割りの文法において顕著であり、日本の書評家の多くが特徴的な9等分のレイアウトに触れている[167][168]。
コマ割りと演出