フロム・ヘル
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しかし、実在のランドマークと饒舌な引喩によってオカルト的歴史観が展開されるこの章は、作品の重要な一部[36]、「最も効果的な章の一つ」[37]、「(物語の)最初の頂点」[38]と評されている。ミステリ評論家千街晶之は「偏執狂的なまでの史実へのリサーチからオカルティックな幻視を騙し絵的に浮かび上がらせる技巧」が本作の「真骨頂」だと呼んだ[39]

ガルが読み解く歴史の根幹には、男性=太陽=理性が女性=月=狂気に取って代わる「原初の陰謀」がある[37]。先史時代に800万年にわたって女性が占めてきた支配的地位は、6000年前に男性が象徴という武器を手にしたことで覆ったのだという[40][41]。「象徴によって男性は女性を引きずりおろし、象徴によって押さえこんだ。何と強力な魔法だろうか![41]」象徴的な戦いの一例として、月の女神ディアーナへの信仰がキリスト教や、イギリスの民間伝承に見られる狩人ハーンに置き換えられたことが挙げられる[37]。ガルの売春婦殺害も、出産の神秘に支えられた女性の権威を失墜させて男性の力を再確認するという、古代から続く生贄儀式の一種である[37]。ガルはロンドンの各地に眠る歴史を掘り起こすことで、国家の安定の名のもとに犠牲にされてきた異教の力にアクセスするのと同時に、暴力による支配を維持しようと試みる。作者ムーアはこれらの発想をイアン・シンクレア(英語版)の著作『ルッドの熱[† 1]』(1975年)や『ホワイトチャペル、緋の痕跡[† 2]』(1987年)[42]、およびロバート・グレーヴスから示唆されたという[43]

作中で訪問される、太陽と月の戦いを象徴する数々のランドマークは地図上で禍々しい五芒星を描き出す[44]。その中央にあるセント・ポール大聖堂はガルによると男性原理の核心的な象徴であり、建築構造に埋め込まれた鉄鎖(レンの鎖[45])が「無意識、月、女性性」をその内に縛り付けている[37](ムーアは執筆当時のウェールズ公妃ダイアナがセント・ポール大聖堂で皇太子と結婚式を挙げたことを意識していた[46])。ロンドン市街の「力と意味の線」を引き直し、封印を再生させることが、切り裂きジャックの事件を起こさなければならない必然的な理由だとされる[47]

この章ではニコラス・ホークスムア(英語版)の建築作品が中心的に扱われている。ホークスムアはフリーメイソンの一員であり、教会建築に異教の意匠を取り入れたことからオカルティストの間で関心が高く、本作以前にもシンクレアやピーター・アクロイド(英語版)の小説で取り上げられている[48]

ムーアはこの章の単調なプロットを作品として成立させた作画家エディ・キャンベルを称賛している[43]。キャンベルは描写に少しでも緩急をつけるため、ガルらが立ち止まっているときは背景を写実的に描き、馬車で移動している間はスケッチ風のタッチに変えて細部に目が留まらないようにした[49]。また余計な部分で読者が混乱しないように、馬車が東に向かうシーンでは人物は右を向き、西に向かうシーンでは左を向いている[50]。この章は丸1日の出来事であり、太陽の動きを計算に入れて絵の光源が設定されている[51]

バトル・ブリッジ・ロード。何の変哲もない裏通りだが、ケルトの女王ボアディケアがローマ軍に敗れた場所とされる[52][53]。「これこそが女どもの最後の希望と夢が潰えた場所なのだ」[54]

バンヒル・フィールズ(英語版)。幻視者ウィリアム・ブレイクは、男性原理と理性を象徴する「太陽神のオベリスク[† 3]」の根元に葬られている[55]

セント・ルーク教会(英語版)。オベリスクのような尖塔は建築家ニコラス・ホークスムアの特徴である[48]。「ありゃあバンヒル・フィールズの奴と同じもんだ! でもあんなかたちの尖塔があるわけない」[56]


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