フロギストン説
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ブラックからこの研究を引き継いだダニエル・ラザフォードは、まず密閉された空間内にネズミを閉じ込め、ネズミが死ぬまで放置した。その後、その空間内でろうそくを燃焼させ、さらにリンを燃焼させた。リンが燃焼できなくなってから空間内の二酸化炭素を取り除き、再び燃焼させようとしたが、やはり燃焼させることはできず、ネズミもこの中で生存することはできなかった[22]

この結果からラザフォードは、この空間内の空気はフロギストンで飽和状態にあり、もうこれ以上フロギストンを含むことができないので燃焼が起こらないのだと結論した。そして1772年、この空気をフロギストン空気と呼んだ[23]
脱フロギストン空気の発見ジョセフ・プリーストリー

英国の牧師ジョセフ・プリーストリーは、1760年代の後半から二酸化炭素などの気体の研究を行っていた[19]。気体を収集するにあたっては、従来の水上置換では水に溶けやすい気体を集めることができないため、しばしば水の代わりに水銀を使用していた[24]

プリーストリーは1774年、水銀を空気中で燃焼させたときに出る赤色の物体「水銀灰」に目を付けた。水銀灰は熱を加えると水銀に戻り、そのとき気体が発生する。プリーストリーはこの気体を水銀中で収集することに成功した。

この気体は水には溶けず、助燃性をもっていた。プリーストリーは、この気体は当時知られていた気体の中では笑気(現在でいう亜酸化窒素 N2O)に近いと判断した。しかしここでプリーストリーが行った収集手順では、笑気を生成するのに必要な硝酸を使用していなかった。そのためプリーストリーはこの気体の正体を説明するのに苦慮した。1774年10月、プリーストリーはパリで、他の科学者たちにこの実験について説明し、今度はもっと純度の良い水銀灰を使って再び実験を行いたいと語った[25]

プリーストリーが実験に使用した「水銀灰」とは、現在の名称でいう酸化水銀(II)(HgO)にあたる。そして現在では、これを還元させると

2HgO → 2Hg + O2

の反応が起きることが知られている。つまり、このときプリーストリーが収集した気体は、当時発見されていなかった酸素だということになる。

プリーストリーが、この気体は未発見のものだと気付いたのは、翌1775年であった。プリーストリーはパリで純度の良い水銀灰を手に入れ、それを使って再びこの気体を収集した。そして、自らが考案した「ニトラス・エアー・テスト」と呼ばれる、空気の純度を測るテスト[注釈 1]を行った。テスト後、その気体にろうそくの火を近づけると、火は激しく燃えた。また、その気体の中でハツカネズミは死ぬことはなかった[25]

プリーストリーはさらにテストを続けることにより、この気体(すなわち酸素)の中でネズミは空気中よりも2倍長生きできることを確認した。プリーストリー自身もこの気体を吸引し、気分が良くなることを確かめた[24]。さらに、ニトラス・エアー・テストの結果、この気体は空気の4倍から5倍くらい「良い」気体であることが明らかになった。

これらの結果を踏まえたうえで、プリーストリーは、この気体は元々フロギストンを全く含まないので、それだけフロギストンを多く吸収することができ、その結果良く燃えるのだと考えた。そしてこの気体を「脱フロギストン空気」と名付けた[注釈 2]
酸素説の登場

アントワーヌ・ラヴォアジエは、空気は「空気の基」と「火の物質」から成り、一方で金属は金属灰と「空気の基」から成るという考えをもっていた。そして燃焼の際には

金属 + 火の物質 → 金属灰 + 空気

という変化が起こると考えた[26]。しかし、1772年にラヴォアジエは、金属を燃焼させると質量が増すというギュイトン・ド・モルヴォーが行った実験の結果を知った[27]。そこで同年、空気中で硫黄やリンを燃焼させる実験を行ったところ、燃焼前より質量が増えることを発見した。

ラヴォアジエは、「空気の基」が離れたのに質量が増えるのはあり得ないと考え、燃焼の際には「空気の基」が逆に硫黄やリンに結合するのではないかと自分の説を修正した。さらにラヴォアジエは、旧来より知られていた金属灰の質量増加の問題も、同様に金属が「空気の基」と結合したためだと考えた。すなわち、

空気 = 空気の基 + 火の物質

金属灰 = 金属 + 空気の基

であり、金属の燃焼の際には

金属 + 空気 → 金属灰 + 火の物質

となる[28]。この内容は1772年11月に覚書として学士院に提出された[29]

さらにラヴォアジエは1774年4月に、「密閉容器内での金属の灰化についての報告」という論文を発表した。ここでは、密閉された容器内に金属を入れて燃焼させると燃焼後の質量は燃焼前と変わらないが、その後容器に穴をあけると、空気が容器内に音を立てて流れ込み、質量が増えるという報告がなされている。このことからも、燃焼で質量が増えた原因は、フロギストンや、あるいは過去にボイルが仮定した「火の粒子」ではなく、空気中の何かが金属と結合したためと判断できる[30]ラヴォアジエが水銀灰(酸化第二水銀)を収集するのに使用した実験装置。

このようにラヴォアジエはフロギストンを使用しない自らの理論を作り上げていった。しかし、金属と結合する「空気の基」とは何であるかに関しては結論を出せずにいた。そのような状態にあった1774年10月、ラヴォアジエはプリーストリーから、水銀灰を加熱した時に発生する気体の話を聞いた。ラヴォアジエは、この実験を行えば、自分が求めている気体が得られるのではないかと感じ、自らの手でプリーストリーと同じ実験を行った[30]

ラヴォアジエが水銀灰の実験で得た気体(すなわち酸素)は、空気とほぼ同じ密度をもっていた。さらにこの気体に対して行った6種類の検査においても、空気との大きな差異は認められなかった。そのためラヴォアジエは、この気体は純粋な空気そのものであると結論した[31]

ラヴォアジエの論文は1775年4月に発表された[30]。これを読んだプリーストリーは、ラヴォアジエの見解に異を唱えた。プリーストリーはすでにこの気体は空気ではなく新しい気体(脱フロギストン空気)であることに気づいていたため、ラヴォアジエがこれを空気としたのは、この気体の性質を十分調べていないためだと指摘した[32]

ラヴォアジエはこの指摘を受けて、論文を修正した。ただしフロギストン説には則らずに、空気は2種類の気体から成ると考えた。そして燃焼の際には、そのうちの一方の気体が金属と結合するとした[33]


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