フレディ・マーキュリー
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私が彼のコンサートを見に行ったのは一度きりだったけれど、誰もが言うように、彼は間違いなく、観客を手のひらの中につかんでしまうことができる人物だった」と賞賛している[25]。クイーンのギタリスト、ブライアン・メイは、フレディについて「スタジアムの最後列にいる最後の一人まで、彼と繋がっているように感じさせることができる」人物だったと書いている[26]

フレディがクイーンとして行った最も有名なパフォーマンスの1つに、1985年のライヴエイドがある。

フレディの活動中、彼はクイーンとして世界中でおよそ700ものコンサートを行った。クイーンのコンサートのおおきな特徴は、大規模で複雑なことだった[23]。彼は以前「我々はロックンロールのセシル・B・デミルであり、いつもより大きく、より良い事をしたいと考えている」と説明していた[23]。クイーンは、1981年のサンパウロ、エスタジオ・ド・モルンビーでコンサートを行い、観客数の世界記録を作った[27]。1986年に、クイーンが鉄のカーテンの後ろのブダペストで、80,000人の観客を前に行ったパフォーマンスは、東欧で今まで行われた最大級のロックコンサートの1つとなっている[28]。フレディは、クイーンとしての最後のコンサートを1986年8月9日にイングランドのネブワース・ハウスで30万人ほどの観客の前で行った[29]

初期のライヴでは主にザンドラ・ローズ(英語版)がデザインした衣装を着用。1970年代後半のライヴでは、レザースーツやタイツが多く使われ、上半身を露出したタイプのものが多い。1980年代に入るとTシャツ、タンクトップなどのシンプルな衣装になった。

フレディのステージでのトレードマークといえるのが、「ボトムレスマイクスタンド」と呼ばれる、マイクスタンドの先端部分のみがマイクに取り付けられているものである。これは、ライブの最中に台座から先端部分が外れてしまうと言うハプニングが発生した時に、フレディがそれを気に入って取り入れたもの[30]2018年に公開された映画『ボヘミアン・ラプソディ』では、初めてのライブでマイクスタンドをうまく扱えず、誤って先端部分のみが外れてしまった様子が描かれている。ちなみに、アクセル・ローズはこのマイクを改良したタイプのものを、ガンズ・アンド・ローゼズのライブで使っている。
楽器奏者ドイツ、フランクフルトでのクイーンのライブでギターを弾くフレディ・マーキュリー

インドで暮らしていたフレディは9歳までピアノを習っていた。後のロンドン在住時には、ギターも学んだ。彼の好きだった音楽の多くはギターが中心だった。彼が当時気に入っていたアーティストは、ザ・フービートルズジミ・ヘンドリクスデヴィッド・ボウイレッド・ツェッペリンなどであった。1980年代初頭は、クイーンとソロ活動の両方で、キーボード奏者を招いていた。ピンク・フロイドエルトン・ジョンスーパートランプで働いたカナダ人ミュージシャンフレッド・マンデル(英語版)はフレディの最初のソロプロジェクトに協力した。また、1985年から、スパイク・エドニーがクイーンに、ソロではスタジオでマイク・モラン(英語版)がと、前述のようにキーボード奏者が協力しているが、その際もフレディはピアノ等の鍵盤楽器も担当している。

フレディは「キラー・クイーン」、「ボヘミアン・ラプソディ」、「懐かしのラヴァー・ボーイ」、「伝説のチャンピオン」、「愛にすべてを」、「ドント・ストップ・ミー・ナウ」など、クイーンの代表曲のほとんどのピアノを弾いている。彼はコンサート・グランドピアノを使用し、時折ハープシコードのような鍵盤楽器も使っている。1980年代からはスタジオで頻繁にシンセサイザーを使うようになった。クイーンのギタリスト、ブライアン・メイは、フレディは彼のピアノの能力に感銘を受けさせるのではなく、舞台の上を歩き回って観客を楽しませたかったため、楽器を演奏していた時間が少なくなっていたと主張している[31]。彼はギター用に多くの曲も書いたが、ギターは基本的な技術しか持っていなかった。「オウガ・バトル」、「愛という名の欲望」のような曲はギターで構成されており、後者はステージとスタジオの両方で、フレディが演奏するアコースティック・ギターが特徴となることもあった[32]

クイーンのライヴ・スタジオにおいてはシンセサイザータンバリンリズムギター、ハープシコード、チェレスタ、アコースティック・ギター、オルガンカウベルパーカッションシンセベースマラカスなどにクレジットされている。
ソロ活動

個人名義でのソロアルバムは実質的に1枚しか発表されておらず、後述の『Mr.バッド・ガイ』(1985年リリース)のみである。発売時の日本ではクイーンの人気は1970年代ほどではなく、シングル「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」がノエビア化粧品のCMに使われたものの、全盛期のクイーンのアルバムほどの売り上げではなかった。またCBSからのリリースであったせいか(クイーンはEMI)、死後もしばらくは廃盤になっていた(現在、『Mr.バッド・ガイ』単体はソニーの運営するダウンロードサイトmoraで全曲一括購入が可能)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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