フレディ・マーキュリー
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」と語っており、二人はとても仲のいい関係となっていった[19][20][21]
活動詳細は「クイーン (バンド)」を参照

クイーンに参加の当初からしばらくは、同じくメンバーのロジャー・テイラーと、ケンジントン・マーケットで古着屋を経営した。また、クイーンがデビューする直前にラリー・ルレックスという名義でソロ・シングルを発売している。
作曲者

ボヘミアン・ラプソディ」「輝ける7つの海」「キラー・クイーン」「愛にすべてを」「懐かしのラヴァー・ボーイ」「伝説のチャンピオン」「バイシクル・レース」「ドント・ストップ・ミー・ナウ」「愛という名の欲望」「プレイ・ザ・ゲーム」と、グレイテスト・ヒッツに収録されている17曲のうち、10曲はフレディが作曲している[22]。1980年リリースの『ザ・ゲーム』まではクイーンの代表曲の多くを作曲した。その後の個人名義での作曲は、過去の焼き直し的な曲もあり、曲数もほかのメンバーとの比率の面で初期と比較して少なくなっていった。

彼の作曲の大きな特徴は、ロカビリープログレッシブ・ロックヘヴィメタルゴスペルディスコを含む、広いジャンルで作曲していることである。1986年のインタビューでは、「私は再び同じ事をするのを嫌っている。音楽、映画、演劇において、今何が起こっているのかを確かめ、それら全てを取り入れることが好きなんだ」と説明している[23]。多くのシンガーソングライターと比較しても、フレディはいろいろな音楽を組み合わせて作曲する傾向があった。
ライブパフォーマーフランクフルト公演のフレディ・マーキュリー(1984年撮影)ボトムレス・マイクスタンドによる1979年のライブ

フレディは世界中のスタジアムでライブ公演を行い、そのパフォーマンスで注目を集めた。そのスタイルはきわめて演劇的で、あるライターは、「スペクテイター」に掲載された記事で、フレディを「自身の変化自在な姿を駆使し、観客をじらし、驚かせ、最後には魅了してしまうパフォーマーだ」と述べている[24]アンダー・プレッシャーを共作し、フレディ・マーキュリー追悼コンサートでクイーンと共演したデヴィッド・ボウイは、フレディのパフォーマンスについて、「演劇的なロックパフォーマンスを見せるアーティストの中でも、フレディは破格の存在で、型破りだった。私はいつもタイツ姿の彼に見とれてしまう。私が彼のコンサートを見に行ったのは一度きりだったけれど、誰もが言うように、彼は間違いなく、観客を手のひらの中につかんでしまうことができる人物だった」と賞賛している[25]。クイーンのギタリスト、ブライアン・メイは、フレディについて「スタジアムの最後列にいる最後の一人まで、彼と繋がっているように感じさせることができる」人物だったと書いている[26]

フレディがクイーンとして行った最も有名なパフォーマンスの1つに、1985年のライヴエイドがある。

フレディの活動中、彼はクイーンとして世界中でおよそ700ものコンサートを行った。クイーンのコンサートのおおきな特徴は、大規模で複雑なことだった[23]。彼は以前「我々はロックンロールのセシル・B・デミルであり、いつもより大きく、より良い事をしたいと考えている」と説明していた[23]。クイーンは、1981年のサンパウロ、エスタジオ・ド・モルンビーでコンサートを行い、観客数の世界記録を作った[27]。1986年に、クイーンが鉄のカーテンの後ろのブダペストで、80,000人の観客を前に行ったパフォーマンスは、東欧で今まで行われた最大級のロックコンサートの1つとなっている[28]。フレディは、クイーンとしての最後のコンサートを1986年8月9日にイングランドのネブワース・ハウスで30万人ほどの観客の前で行った[29]

初期のライヴでは主にザンドラ・ローズ(英語版)がデザインした衣装を着用。1970年代後半のライヴでは、レザースーツやタイツが多く使われ、上半身を露出したタイプのものが多い。1980年代に入るとTシャツ、タンクトップなどのシンプルな衣装になった。

フレディのステージでのトレードマークといえるのが、「ボトムレスマイクスタンド」と呼ばれる、マイクスタンドの先端部分のみがマイクに取り付けられているものである。これは、ライブの最中に台座から先端部分が外れてしまうと言うハプニングが発生した時に、フレディがそれを気に入って取り入れたもの[30]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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