フレディ・マーキュリー
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フレディは、当時イギリス保護国だったザンジバル島(現タンザニア)のストーン・タウンで生まれた。インド生まれの父ボミ(1908年 - 2003年)と母ジャー(1922年 - 2016年)は、ゾロアスター教徒であるパールシー。植民地政府のオフィスで会計係として働くボミが仕事を続けるため、妻とザンジバルに移った[6]。妹にカシミラ(1952年 - )(のちにロジャー・クックと結婚し、一男一女に恵まれる)がいる[7]フレディが住んだザンジバルの家

フレディはインドで幼少期の大半を過ごし、7歳でピアノを習い始める[8]。1954年、8歳でボンベイ(今のムンバイ)郊外のパンチガニにある全寮制の英国式寄宿学校、セント・ペーターズ・ボーイズ・スクールに通う[9]。12歳でスクールバンド「ザ・ヘクティクス(英語版)」を結成し、クリフ・リチャードリトル・リチャードのカバーを演奏していた[10]。当時の友人は、フレディについて「ラジオで聴いた曲を、その後ピアノで再現する、特異な能力を持っていた」と述懐している[11]

1963年にザンジバルに戻って家族と一緒に暮らし始めたが、その翌年にはザンジバル革命が起こり、アラブ人とインド人に多数の死傷者が出た。当時17歳のフレディとその家族は、ザンジバルから逃れ[12][13]、イングランドのミドルセックス州フェルサム(英語版)にある小さな家へ移り住み、両親は郊外住宅の使用人として働いた[6]。フレディはウェスト・ロンドン(英語版)にあるアイズルワース工業学校(現在のウェスト・テムズ・カレッジ(英語版))に入り、働きながら芸術を学んだ。その後、イーリング・アートカレッジ(英語版)へ進み、2年間芸術とグラフィック・デザインを学ぶ。後年には、クイーンでこれらの技術を用いて衣装をデザインしている[9]

卒業後、フレディはバンドに参加しながら、バンドのメンバー、ロジャー・テイラーと一緒に、ロンドンのケンジントン・マーケット(英語版)で古着を販売していた。それ以前には、ヒースロー国際空港でアルバイトをしていた時期もあった。当時の友人は、フレディのことを「音楽に対して関心を示す、静かで内気な若者」として記憶している[14]。フレディは、1969年、バンド「アイベックス(オランダ語版)」(後に「レッケイジ」と改名する)に参加する。このバンドはしばらくして、他のメンバー達の進路の問題で解散する。その後、フレディは音楽雑誌でボーカルを募集していたバンド「サワー・ミルク・シー(英語版)」のオーディションを受け、他のオーディション参加者と格段の差を見せて合格し活動を始めるも、他のメンバー達の事情により、1970年前半に解散する[15]

1970年4月、フレディはギタリストのブライアン・メイやドラマーのロジャー・テイラーが所属するバンド「スマイル」に加わる。メイやテイラー、それに当時彼らのマネジメントに携わっていたトライデント・スタジオ(英語版)が難色を示したものの、フレディの選んだ「クイーン」を新たなバンド名とした。このバンド名について、フレディは「間違いなく堂々としているし、響きもいい。それに力強さもあって、どこでも通用するわかりやすいネーミングだ。ゲイを思わせるような名前だとわかってはいたが、それはほんの一面にすぎなかった」と語っている[16]。同じころ、フレディはバルサラからマーキュリーに改姓した[17][注釈 1]

フレディはレッド・ツェッペリンロバート・プラントを尊敬しており、初期のクイーンはレッド・ツェッペリンの影響を深く受けたサウンドを奏でていた。フレディは1977年3月のインタビューで、「ロバート・プラントはいつも私のお気に入りの歌手だった。彼は私にとても嬉しい事を言ってくれた。彼は実際に「キラー・クイーン」が好きだと言ってくれたんだ。」と語っており、二人はとても仲のいい関係となっていった[19][20][21]
活動詳細は「クイーン (バンド)」を参照

クイーンに参加の当初からしばらくは、同じくメンバーのロジャー・テイラーと、ケンジントン・マーケットで古着屋を経営した。また、クイーンがデビューする直前にラリー・ルレックスという名義でソロ・シングルを発売している。
作曲者

ボヘミアン・ラプソディ」「輝ける7つの海」「キラー・クイーン」「愛にすべてを」「懐かしのラヴァー・ボーイ」「伝説のチャンピオン」「バイシクル・レース」「ドント・ストップ・ミー・ナウ」「愛という名の欲望」「プレイ・ザ・ゲーム」と、グレイテスト・ヒッツに収録されている17曲のうち、10曲はフレディが作曲している[22]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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