フリードリヒ・シェリング
G.W.F.ヘーゲル、サミュエル・テイラー・コールリッジ、Georg Anton Friedrich Ast、セーレン・キェルケゴール、カール・グスタフ・ユング、マルティン・ハイデッガー、パウル・ティリッヒ、チャールズ・サンダース・パース、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、Emil Fackenheim、スラヴォイ・ジジェク、Charles Secretan、Isaac Bernays、Karl Christian Friedrich Krause、フェリックス・ラヴェッソン、Victor Cousin、イアン・ハミルトン・グラント、Alexandru Hajdeu、ジル・ドゥルーズ、クリスティアン・ゴットフリート・ダニエル・ネース・フォン・エーゼンベック、カール・グスタフ・カルス、カール・ヴィルヘルム・フェルディナント・ゾルガー、マルクス・ガブリエルなど
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フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling、1775年1月27日 - 1854年8月20日)は、ドイツの哲学者である。フィヒテ、ヘーゲルなどとともにドイツ観念論を代表する哲学者のひとり。
生涯ヴュルテンベルク公国(現在のバーデン=ヴュルテンベルク州)レーオンベルク
で誕生。父はルター派の神学者・東洋学者・教育者であり、シュヴァーベン敬虔主義の支持者だった。シェリングは家庭の知的また宗教的雰囲気に強く影響されて育ち、早熟な天才ぶりをみせる。シュトゥットガルト近郊のニュルティンゲンのラテン語学校、さらにテュービンゲンの一区域であるベーベンハウゼンの学校で学んだシェリングは、10代前半でギリシア語・ラテン語・ヘブライ語に通じた。
1790年、テュービンゲン神学校(テュービンゲン大学の付属機関)に特例により15歳で入学を許された(規定では20歳から入学)。同神学校には2年前、彼より5歳年上のヘーゲル、ヘルダーリンが入学しており、シェリングは寮で二人と同室になった。彼らは、フランス革命に熱狂し、カントに代表される新しい時代の哲学に関心を示し、進歩と自由を渇望し、そして牧師にはならず、思想あるいは文学の道へ進んでいく。そしてこの時期のシェリングが特に傾倒したのは、フィヒテであり、またスピノザであった。卒業後、家庭教師をしながら『悪の起源について』(1792年)『神話について』(1793年)などの哲学著述を続けていた。
1796年、ライプツィヒ大学で自然学の講義を聴講し始める。1798年、同年に著した『世界霊について』がゲーテに認められたことがきっかけとなり、イェーナ大学の助教授に就任する。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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