1936年3月21日、シルゲンはウルスラ・ゲルラッハと結婚し、ワルター、レギーネ、シビル、ミヒャエルおよびホルストと5人の子どもをもうけた。やがてシルゲンは、ランニングスタイルが特に優雅であるとされ「若きドイツのスポーツ選手の象徴」として、ベルリンオリンピックで初めて行われる聖火リレーの走者3,187名[2]のうちの一人として選ばれた。聖火リレーの最終ランナーとして劇的な照明を背景に聖火台に向かってひた走るシルゲンの姿は、レニ・リーフェンシュタールのベルリンオリンピック記録映画『民族の祭典』において鮮明に記録されている。シルゲン自身は、選手としてはベルリンを含めてオリンピックに出場した経験はないものの初代の最終聖火ランナーであることから、特に第二次世界大戦後においてオリンピックと深くかかわることとなった。
ベルリンオリンピック前からテレフンケンに技師として入社していたシルゲンは、社内のスポーツ活動のコーチを務めていた[2]。1945年4月のベルリン攻防戦にも巻き込まれたが、最後の脱出組の一人として生き残った[2]。大戦後はウルムにおいて技師としての仕事を続ける傍らで西ドイツのいくつかの陸上競技連盟の顧問を務め[2]、ドイツオリンピック委員会のコンサルタントとしても活動し、1972年のミュンヘンオリンピックの実現に尽力。1996年のアトランタオリンピック時には、シルゲンは90歳になろうとしていたものの聖火ランナーとして起用された。アトランタオリンピックは近代オリンピック開催100周年記念大会でもあり、シルゲンはその記念行事の一つでベルリン・オリンピアシュタディオンの聖火台に再び聖火を灯す栄誉を得た[3]。2005年9月12日、その4日前に99歳の誕生日を迎えていたシルゲンは、故郷クロンベルク・イム・タウヌスで亡くなった。
脚注^ “ ⇒Leichtathletik - Deutsche Meisterschaften (1500m - Herren)” (ドイツ語). sport-komplett.de. sport-komplett.de. 2013年8月8日閲覧。
^ a b c d e f #Schwenk
^ “ ⇒Olympisches Feuer flackert in Berlin” (ドイツ語). Rhein-Zeitung Online. Rhein-Zeitung Online. 2013年8月8日閲覧。
参考文献
“ ⇒Fritz Schilgen made Olympic history ? the final runner of the Olympic torch relay in Berlin 1936” (英語). bmw berlin marathon.com. bmw berlin marathon.com / Gustav Schwenk. 2013年8月8日閲覧。
関連項目
ベルリンオリンピック
オリンピック聖火
オリンピア (映画)
テレフンケン
表
話
編
歴
オリンピック最終聖火ランナー
夏季大会
1936 ベルリン - フリッツ・シルゲン
1948 ロンドン - ジョン・マーク
1952 ヘルシンキ - パーヴォ・ヌルミ
1956 メルボルン - ロン・クラーク
1960 ローマ - ジャンカルロ・ペリス
1964 東京 - 坂井義則
1968 メキシコシティー - エンリケタ・バシリオ
1972 ミュンヘン - ギュンター・ツァーン
1976 モントリオール - ステファン・プレフォンテーヌ、サンドラ・ヘンダーソン
1980 モスクワ - セルゲイ・ベロフ
1984 ロサンゼルス - レイファー・ジョンソン
1988 ソウル - 孫基禎
1992 バルセロナ - アントニオ・レボジョ
1996 アトランタ - モハメド・アリ
2000 シドニー - キャシー・フリーマン
2004 アテネ - ニコラオス・カクラマナキス
2008 北京 - 李寧
2012 ロンドン - キャメロン・マクリッチー、デジレー・ヘンリー他7人
2016 リオデジャネイロ - バンデルレイ・デ・リマ
2020 東京 - 大坂なおみ
冬季大会
1952 オスロ - エイイル・ナンセン
1956 コルチナ・ダンペッツオ - グイド・カロリ