フリゲート艦
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中華民国/台湾ではフリゲートを「巡防艦」、コルベットを「護衛艦」と区別するが、中華人民共和国/中国人民解放軍では自国のフリゲートとコルベットを纏めて「護衛艦」と呼称するのが一般的で、それぞれの海軍の艦艇もそのように区別される。

また、ヨーロッパ大陸諸国の海軍では、中佐の階級呼称として「フリゲートの艦長」に相当する語を用いる例が多い。

ドイツ海軍:Fregattenkapitan

フランス海軍:Capitaine de fregate

イタリア海軍:Capitano di fregata

スペイン海軍:Capitan de Fragata

ポルトガル海軍:Capitao-de-fragata

帆走フリゲートアメリカ海軍「ボストン

「フリゲート」という単語は「フレガータ」(fregata)を語源とする。これは地中海で用いられたガレー船であり、複数のマストと帆、多数の橈を備えた快速船の別称であったが、のちに転じて、広く快速の帆走軍艦を指すようになった。イギリス海軍初のフリゲートは諸説あるが、一般的には鹵獲したフランス私掠船を模して建造され、1646年に進水した「コンスタント・ワーウィック」とされる[14][15]

どの程度の軍艦を「フリゲート」として類別するかは定見がなく、判然としない部分があるが、おおむね備砲24?40門程度のシップ型の軍艦がこのように称された。一般的に砲列甲板は単層で、甲板長は40メートル程度、排水量は1,000トン程度であった[16]。また18世紀ごろに備砲の数による等級制度が整備されると、5等艦6等艦がフリゲートとされるようになった。この時代のフリゲートは、勅任艦長(海佐艦長)が艦長に任ぜられる最小規模の軍艦であり、艦隊決戦では戦列には加わらずに通信の中継や損傷艦曳航などの補助的任務にあたっていた。特に快速力と高性能を活用した偵察・通報はフリゲートの独壇場であり、「艦隊の目」として若く有能な艦長が配される事が多かった[16]。また決戦以外の場でも、敵国の船舶に対する通商破壊や、逆に敵の私掠船・通商破壊艦を撃退するシーレーン防衛により、多くの戦歴が記録された[14]。特に敵船の拿捕に成功すれば捕獲賞金の分配があり、海軍将兵としての薄給を遥かに上回る収入を一気に得ることができたことから、フリゲートへの乗り組みは海軍将兵の憧れの的であった。腕の良い艦長であれば年収250年分の捕獲賞金を得た例もあったとされるが、逆に捕獲賞金に釣られた艦長が商船狩りに熱中して作戦をなおざりにした例もあり、大局的見地からは弊害も少なくなかった[17]

フランス革命戦争ナポレオン戦争を通じて、フリゲートの大型化・火力強化が進められた[18]。例えばイギリス海軍では、1794年の時点では12ポンド砲搭載の32門艦と28門艦が多数を占めていたが、1814年の時点では18ポンド砲を主砲とした38門艦と36門艦が主力となっていた。またアメリカ海軍は、1794年の再設立以降は戦列艦を持たなかったこともあって、24ポンド砲を主砲とする44門艦・36門艦と、他国よりも重武装・大型のフリゲートを主力とした。折からの英海軍の慢性的な乗員不足による戦力低下もあって、独立戦争米英戦争ではイギリス海軍のフリゲートに対して優位に立った[14]。米英戦争における海戦の勝利はアメリカに自信を与え[19]、イギリス海軍のフリゲートは戦訓から巨大化していった[18]

19世紀に入って舶用蒸気機関が普及すると、1839年進水のイギリス海軍「サイクロプス」を端緒としてフリゲートにも導入され、機帆船の時代となった。当初は外輪船の方式であったが、舷側砲の設置を妨げるうえ、クリミア戦争において攻撃に対する脆弱性が露呈し、まもなくスクリュープロペラによる推進が主力となった[20]


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