ハワイ島ヒロでは「メリー・モナーク・フェスティバル」として、例年復活祭から一週間、世界最大のフラのコンテストが行われている。これはキリスト教受容によって弾圧されていたフラを復興させたカラカウア王(通称「陽気な王様Merry Monarch」)を記念したものである。
モロカイ島はフラ発祥の地といわれ、毎年「カフラピコ・フェスティバル」が開催されている。[6]
日本のフラ
「カイマナヒラ」の知名度もさることながら、近年フラの人気が高まり、フラハーラウ(フラスクール)は日本全国に約300以上ある。フラの競技会も数多く開催されている。そのなかでも最大なのが毎年駒沢オリンピック公園体育館で開催されるキング・カメハメハ・フラ・コンペティション・イン・ジャパンである。ワヒネカヒコ・ワヒネアウアナ・クプナワヒネの3つのカテゴリーの優勝グループは、ホノルルで開催される同コンペティションへの出場権を獲得できる。
その他
1929年(昭和4年)5月7日、トーキー映画が輸入されて初の試写会が行われ、その試写の1本がフラを題材とした『島の唄及び海を越えて』であった。もっとも当時はフラは日本において知名度はなく、当時の新聞では「ハワイ独特の民謡に併せて踊る島の娘の尻振りダンス」として紹介されている[7]。
1930年(昭和5年)11月22日、警視庁は演芸界の乱れた風紀を取締るために通称「エロ取締規則」の通牒を発出。この規則のダンスの項ではインディアンダンスとともにハワイアンダンスを例示し、「腰を部分的に前後左右に振る所作」を禁じた[8]。
フラが日本で大々的に紹介された当時はフラをフラダンスと言っていたが、フラにはダンスという意味も含まれている。この為、近年、専門家の間ではフラの名称で統一されている。フラダンスもフラがダンスであることを補った一般的な用法である[注釈 1]。また日本では長い間フラ・アウアナしか知られていなかったが、1990年頃からフラ・カヒコへの注目が高まり、現在ではフラ・アウアナとともにフラ・カヒコも実践されている。
フラを題材とした作品
フラガール
フライングベイビーズ
フラ・フラダンス
フラカッパー
フラガールと犬のチョコ
脚注[脚注の使い方]
注釈^ a b 例えば、英語版外部リンク
典拠管理データベース
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