フランドル
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日本との関係

日本とベルギーは1866年に日白修好通商航海条約(Japan-Belgium Treaty of Amity, Commerce and Navigation)を締結しており、1873年(明治6年)には岩倉使節団がベルギーを公式訪問して国王のレオポルド2世に謁見した。1896年には日白航海通商条約を締結した[5]

1912年にフランドル伯であったベルギー皇帝アルベールの祖母が崩御した際、宮内省は8日間、喪に服した[6]
地理「ベネルクス三国」も参照

中世のフランドル伯領は、現在のフランデレン地域ウェスト=フランデレン州にあたり、あるいは東フランデレン州も含む。

中世フランドルの都市:ブルージュ(ブルッヘ)、ガン(ヘント)、イープル(イーペル)、 - かつてのヨーロッパの貿易中心地。

近世のフランデレン地域はフラームス=ブラバント州アントウェルペン州リンブルフ州が含まれる。

近世フランドルの都市:アンヴェール(アントウェルペン)、ブリュッセル - ブルッヘが廃れたのちのヨーロッパの貿易中心地。アントワープ証券取引所が設立された。

フランダースの犬』の舞台はアントウェルペンである。

中世にフランドル伯領であったフランス北部地方はフランドル・フランセーズ(Flandre francaise)と呼ばれている。
政治

フランドル領主をつとめたフランドル伯家は時代により移り変わったが、順にフランドル家(英語版)、エストリズセン朝ノルマン朝ロレーヌ家、フランドル家、ダンピエール朝(英語版)、ヴァロワ=ブルゴーニュ家(House of Valois-Burgundy)、ハプスブルク家となる。ベルギー独立の後は、称号としての「フランドル伯」が貴族に授与されるようになり、ベルギー王家(英語版)(ザクセン=コーブルク=ゴータ家分流)やスペイン共和国で使用されている[7]
文化
天文学と航海術

大航海時代には、天文学者のペトルス・プランシウスメルカトル図法を発明したゲラルドゥス・メルカトル、航海士ペーテル・ケイセルなどが、海図や地図、星図を発展させた。
音楽

15世紀から16世紀にかけて、フランドル楽派と呼ばれる音楽家を輩出した。
フランドル絵画「初期フランドル派」、「オランダ美術」、および「フランドル美術」も参照

フランドル絵画(ネーデルラント絵画)は、都市の経済的な繁栄を背景にフランドルで発展した。15世紀に初期フランドル絵画の隆盛が見られ、ファン・エイク兄弟が確立した油彩画の技法はイタリア・ルネサンスにも大きな影響を与えた。また、バロック期にかけてルーベンスらが活躍した。
ヤン・ファン・エイク(1390年頃 - 1441年)
初期フランドル派の画家。
ハンス・メムリンク(1435年 - 1494年)
ドイツのゼーゲンシュクタット出身。フランドルで活躍。
ヒエロニムス・ボス(1450年頃 - 1516年)
現在のオランダ(ベルギー国境近く)にあるス・ヘルトーヘンボスに生まれ、生涯を過ごしている。
ピーテル・ブリューゲル(1525/30年 - 1569年)
生地はブラバント地方のブレダとする説もあるが、不明。アントウェルペン、ブリュッセルで活動した。
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577年 - 1640年)
ドイツのジーゲン生まれ(アントワープ出身の両親の亡命先)。イタリアで活躍した後、アントワープに戻って活動を続けた。

なお、レンブラント(1606年 - 1669年)やフェルメール(1632年 - 1675年)は八十年戦争(1648年終結)後のオランダで活動しており、オランダ絵画とするのが妥当である。
フランドルの人物

ゲラルドゥス・メルカトル(1512年 - 1594年) - 地図投影法のひとつであるメルカトル図法で知られる。

ヤーコブ・ヨルダーンス(1593年 - 1678年)- バロック期の画家。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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