妻がユダヤ人であるにもかかわらずドイツを率いていたナチス党政権の庇護を受けた理由は、『メリー・ウィドウ』がオーストリア生まれのアドルフ・ヒトラーの好きな作品であったためである。
レハールは『メリー・ウィドウ』のスコアをヒトラーに贈っており[3]、ここからもレハールとヒトラーとの関係がうかがえる。しかしこのヒトラー、およびナチス党との関係は、レハールと彼の周囲の人々に大きな不幸をもたらす事になっていく。
『微笑みの国』の台本を担当し、同作品中今もスタンダード・ナンバーとして愛される『君こそ我が心のすべて』を作詞したユダヤ人作家フリッツ・レーナー=ベーダ(ドイツ語版)は、ナチスと親しいレハールを頼る事で強制収容所送りを免れようとした。しかし、レハールはナチスに妻のことを持ち出されて、この件に口出しすることを禁じられ、結果レーナー・ベーダは強制収容所に送られて1944年死亡したとされている[3]。この一件以後レハールは終戦まで沈黙を余儀なくされた。
レハールは政治に関してほとんど無関心であったにもかかわらず、戦後もレハールはこの一件によって「ナチスへの協力者」として、オーストリア及び西ドイツで非難される事となった。
レハール作品の特色1912年、仕事場でのレハール。
東欧植民ドイツ人の家に生まれ、自身もハンガリーやチェコに長く住み、ウィーンに落ち着いて後半生はベルリンを上演の拠点としたレハールの作品は国際性豊かである。特にバルカンを含めた東欧情緒は色濃い。ただし、生地からハンガリー人と表記されることがあるにもかかわらず、民族的にもハンガリー人であるエメリッヒ・カールマンと比べるとハンガリー情趣を前面に出すことは意外に少ない。ちなみに『メリー・ウィドウ』は、一括輸入をふくめ過去12種類の録音録画が国内販売されたが、ハンガリー人指揮者によるものはひとつもない。また、ハンガリーを代表する作曲家のバルトークは『管弦楽のための協奏曲』に『メリー・ウィドウ』の一節を引用しているが、これはソ連の作曲家のショスタコーヴィチの交響曲第7番に引用されたものの孫引きで、このオペレッタ自体を一度も耳にしたことがなかったという。ジョージ・セル、ユージン・オーマンディ、フリッツ・ライナー、フェレンツ・フリッチャイら、戦後にウインナワルツ集を録音したハンガリー人大指揮者は少なくないが、レハール作品をとりあげたのはアンタル・ドラティぐらいである。
メロディメーカーとしては天分にめぐまれ、甘く夢見るような旋律美は今なおドイツ語圏のみならず世界中の歌劇場で愛されている。代表作に上記のほか、オペレッタ『ルクセンブルク伯爵』、ワルツ『金と銀』など。ちなみに、オペレッタの作品中演奏される歌の数々も、今日でもヨーロッパのスタンダード・ナンバーとして残っており、映画音楽として用いられる事もある。
例えば『メリー・ウィドウ』では、第2幕の『ヴィリアの歌』や第3幕の二重唱『唇は黙し、ヴァイオリンは囁く』(メリー・ウィドウ・ワルツ)などは、ルキノ・ヴィスコンティの映画『ベニスに死す』で主人公アッシェンバッハが美少年タージオに出会う場面で使われている。他にも『君こそ我が心のすべて』(『微笑みの国』)、『ルクセンブルク伯爵』の『微笑みかける幸福』なども有名である。シュトラウスやカールマンのオペレッタが、三、四の代表作以外はほぼ忘れ去られているのに対しレハールは、上記作品のほか、『ウィーンの女たち』『ジプシーの恋』『エヴァ』『フリーデリケ』など、もっとも多くの作品が上演・録音され続けているオペレッタ作家である。
作品
オペレッタ
『ウィーンの女たち』(Wiener Frauen, 1901)
『針金細工師(ドイツ語版)』(Der Rastelbinder, 1902)
『メリー・ウィドウ』(Die lustige Witwe, 1905)
『ルクセンブルク伯爵』(Der Graf von Luxemburg, 1909)