フランツ・カフカ
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^ 共に1000部印刷されたが、19年出版の『流刑地にて』は翌年6月までに607部売れたものの、『田舎医者』はかなり売れ残り、ショッケン社が残部を引き受け、1934年まで販売され続けた[102]
^ カフカは生前、ブロートへの遺言を2度行なっている。1921年の最初の遺言ではブロートを遺稿管理人に定め、自分の原稿全てを焼却する様、指示していた。翌年の2度目の遺言では若干自己批判のトーンを和らげ、「判決」「火夫」『変身』「流刑地にて」「田舎医者」「断食芸人」のみを自身の作品として認め、それ以外のものは全て焼却する様にと頼んでいる[105]
^ リルケは特に「火夫」を高く評価しており、『変身』も「流刑地にて」もまだ「火夫」の域に達していないと評していた。カフカは1916年12月7日にフェリーツェに宛てた手紙の中で、この事を記している[114]
^ 以下この「死後の名声」の節は、特に注記のない限り城山三郎「カフカ論の系譜」(『カフカ』所収、107頁-203頁)および若林恵「カフカへの解釈」(『カフカ事典』、206頁-215頁)をもとに執筆している。
^ また、ある日目覚めると女性の巨大な乳房になっていた男を描くロスの小説『乳房になった男』(1972年)では、ゴーゴリの『鼻』などともにカフカの『変身』が言及されている。
^ ヴァイスの自伝的小説『消点』(1961年)では、20代の語り手がカフカの『審判』を読んで衝撃を受け「わたしがこれまでに読んだものはすべて、背景にしりぞいてしまった」と述べる場面がある[125]。のちの『抵抗の美学』(1975年-1981年)にも、登場人物である3人の労働者が『審判』を読んで、プロレタリアートである自分たちの状況を重ね合わせる場面が描かれている[126]。またヴァイスは1974年に『審判』の舞台用の翻案も行った。
^ アラスター・グレイは、その自伝的なリアリズムと超自然的な要素とを組み合わせた作風をカフカから得ている[127]
^ クンデラはカフカの業績を重要視しており、『小説の精神』『裏切られた遺言』などの評論やエッセイで幾度もカフカに言及している。『小説の精神』収録のインタビューではカフカがプルーストジョイスとともに「三位一体」と見なされていることに対し、「私個人の小説史では、カフカこそが新しい方向を、プルースト後の方向を開いたのです」と述べている[128]
^ フラバルの代表作『あまりにも騒がしい孤独』にはカフカ作品からの影響や共通点が指摘されている。この作品を補足するものとして作られたフラバルの「アダージョ・ラメントーソ」という詩はカフカの思い出に捧げられており、またフラバルには「カフカールナ(「カフカ的状況」を表すチェコ語)」と題する短編作品もある[129]
^ 安部公房の1986年のインタビューにおいて「僕のなかでカフカの占める比重は、年々大きくなっていきます」「カフカはつねに僕をつまづきから救ってくれる水先案内人です」と語っている。もっとも安部がカフカを知ったのは作家になってからしばらく後のことで、その影響も直接的ではなく、初期の幻想的な作品はカフカよりもむしろポーキャロルからの影響があるという[130]
^ 小島はインタビューにおいて、自分は他者の作品から「小説的な気分」を受けて作品を執筆することがあり、世界文学ではその相手は決まってカフカとベケットだと語っている[131]
^ 倉橋の特に初期の作品はカミュサルトルと並んでカフカからの影響が見られる。初期の短編「婚約」末尾にはこの作品がカフカへのオマージュである旨が記されている[132]
^ カフカはクッツェーが愛読する作家の一人であり、裁き・審判をテーマとする『恥辱』はカフカの『審判』とのつながりを感じさせる[133]
^ ランドルフィの奇想にはしばしばリラダンポーゴーゴリなどとともにカフカからの影響が指摘されている[134]
^ アッペルフェルドはヘブライ大学在学中、マックス・ブロートマルティン・ブーバーゲルショム・ショーレムなどからの教えを受けている。彼らの多くは生前のカフカと面識があり、アッペルフェルドはナチスからの迫害によって体感した「不合理な世界」をカフカの作品に見出し強い影響を受けた[135]
^ カヴァンは30代後半になってからカフカを読み、その作品からアレゴリー的手法を学んだ。「ヘレン・ファガーソン」からをKを頭文字に持つ「アンナ・カヴァン」への改名は、『審判』の主人公ヨーゼフ・Kを意識したものである[136]
^ オースターはインタビューで、興味のある現代作家の名を聞かれた際「散文作家では、無論カフカとベケットだ。二人とも私に対してものすごい呪縛力を持っていた」と述べている[137]
^ ゼーバルトの短編「ドクターKのリーヴァ湯治旅」は、カフカの出張旅行を再現した作品であり、カフカの「狩人グラフス」『失踪者』などからの引用が縦横に行われている。
^ 村上は少年時代に『城』を読んで衝撃を受けて以来、カフカの作品を繰り返し読んでおり、ドストエフスキーと並んで影響を受けた作家であると述べている。2002年の『海辺のカフカ』もカフカへのオマージュとして書いたものだという[138]
^ 残雪はカフカの作品に対する評論を継続的に執筆し、1999年にカフカ論集『カフカ 魂の城』を刊行している。日本語版の巻頭に収められているエッセイでは、30歳ごろにカフカの作品を読み始めたときのことを書き、「もしかしたら、その何の気なしの行動が文学全体に対する私の見方を変え、その後の長い文学探索の中で、文学への新たな信念を獲得させてくれたのかもしれない」と述べている[139]
^ リンチは自作とカフカとの関係をインタビューで問われた際に愛読していることを語り、「兄弟になれそうな気がするアーティストの一人」だと述べている。リンチはカフカの『変身』の映画化も企画したことがあり、脚本までできているものの膨大な制作費用がかかり、元が取れそうにないため実現には至っていないという[140]
^ トリアーはカフカの『失踪者(アメリカ)』を愛読しており、『ドッグヴィル』の舞台をアメリカに設定したのも『失踪者』を踏まえてのことだとしている[141]
^ スピーゲルマンは若い頃からカフカを愛読しており、それが自分にとって重要なことだったと語っている[142]
^ 作風にカフカからの影響が指摘されており、また『この世の終りへの旅』には『審判』や「掟の門前」を思わせる場面が登場する[143]
^ ズビネック・セカール(Zbynek Sekal)は、チェコの彫刻家。門をモチーフにした一連の作品など、カフカから着想を得た作品群がある。また『変身』を初めてチェコ語に訳した。
^ レベッカ・ホルンは、ドイツの現代アーティスト。
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