フランス
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[注釈 7] 近年ではたとえば「トリュフのパイ包みのスープ」を考案したポール・ボキューズなど有名なシェフも多く自らが経営する料理店で世界中からやってくる食通たちを満足させているし、現在もフランス料理は進歩し続けている。フランスはチーズワインの生産国としても名高く、AOC法によって厳格に品質管理されたフランスワインは世界中で高評価を得ている。また、ワインを蒸留したブランデーの生産も盛んで、特にコニャック地方で生産されるブランデーは品質のよさで知られ「コニャック」というブランドで呼ばれている。なおカフェ文化が育ったのもフランスであり、17世紀後半に生まれたフランスのカフェ文化は、現在まで広く世界中に根付いている。
文学ヴィクトル・ユーゴー詳細は「フランス文学」を参照「フランス・ルネサンスの文学」も参照

中世においては騎士道を歌い上げる叙事詩が文学の主流を担い、11世紀に『ローランの歌』が成立した。

12世紀ころには騎士道物語が流行し、クレティアン・ド・トロワ(1135?-1190?)により『イヴァンまたは獅子の騎士』『ランスロまたは荷車の騎士』『ペルスヴァルまたは聖杯の物語』などの物語が書かれ、その写本が流通した。(これは男性向けの作品であるが)、女性向けの作品としては、13世紀初頭から(100年弱の期間にわたり、ギヨーム・ド・ロリスおよびジャン・ド・マンによってアレゴリー(寓喩)を用いて、長詩の形式で、宮廷恋愛の一種の入門書の『薔薇物語』が書かれ、女性たちの間では大人気となったという。

ルネサンス期にはフランソワ・ラブレーが活躍し、『ガルガンチュワとパンタグリュエル』を著した。その後の絶対主義時代からフランス革命期にかけてマルキ・ド・サドなどが活躍した。

ミシェル・ド・モンテーニュの『エセー』(随想録)は哲学的な自伝の書であり、「自己」を知るだけでなく「人間そのもの」を知ろうとする姿勢はフランス文学のひとつの伝統となった。

17世紀にはジャン・ラシーヌモリエールが優れた演劇作品を書き、当時から劇場でさかんに上演されたわけであるが、特にモリエールの『町人貴族』などは、現代でも各国の劇団が、いわば「演劇作品の古典」として(ほぼそのまま、あるいは翻案して)上演することがある。ブレーズ・パスカルは、数学者・自然科学者でありながらも自身の秘めたる神秘体験から宗教的確信を深め、キリスト教を護教するために論陣を張り、キリスト教護教書とも言える書物をいくつも残したが、生前に刊行されず多数の断片からなる遺稿という形で残された『パンセ』は、自然哲学者やクリスチャンという立場を超え、その哲学的な深淵さによって 現代でも世界中の読者を魅了しつづけている。

18世紀には啓蒙主義のヴォルテールジャン=ジャック・ルソードゥニ・ディドロらが活躍し、ディドロやルソーらは『百科全書』の成立にも貢献した(その流れが現代のこのWikipediaにまで繋がっているわけである。)

19世紀には『赤と黒』のスタンダール、同一登場人物が何度も異なる小説に登場するという手法(この手法は研究者によって「人物再登場」と呼ばれている)を開発し、「人間喜劇」という名でくくられて呼ばれる膨大な小説群を残したオノレ・ド・バルザック、『レ・ミゼラブル』のヴィクトル・ユーゴー、『三銃士』や『モンテクリスト伯(岩窟王)』のアレクサンドル・デュマ・ペールなどが活躍した。『八十日間世界一周』、『海底二万里』で知られるジュール・ヴェルヌサイエンス・フィクションの先駆者となった。1873年アルフォンス・ドーデの『最後の授業』を含む短編集が出版され、フランス語の愛国教育が始まったことが知られている。[注釈 8][注釈 9][注釈 10]

20世紀には、マルセル・プルーストによって『失われた時を求めて』が書かれ、これは「20世紀を代表する大長編小説」とされている。一方でシュルレアリスムアンドレ・ブルトンロベール・デスノスルネ・シャールなどが詩作品などを残した。アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは、軍用機のパイロットとして勤務しつつ作家としてデビューし、『夜間飛行』(1931年刊)や『人間の土地』(1939年刊)などはベストセラーとなり今日でも読み継がれている。また『星の王子さま』は、世界各国でロングセラーとなり、現在では、その翻訳された言語数(翻訳言語数)が「世界中の全ての書物の中で2位」(翻訳言語数トップの聖書に次ぐ、堂々の2位)となっている。
哲学我思う、ゆえに我あり」のコギト命題で知られるルネ・デカルト詳細は「フランス哲学(英語版)」を参照「フランス現代思想」も参照

中世において神学者のピエール・アベラール唯名論を唱え、スコラ学の基礎を築いた。のちにスコラ学はシチリア王国出身のトマス・アクィナスの『神学大全』によって大成された。一方正統カトリック信仰とは異なる立場で南フランスでは一時グノーシス主義の影響を受けたカタリ派が勢力を伸ばしたが、アルビジョワ十字軍によるフランス王権の拡張やカトリックによる弾圧によってカタリ派は15世紀までに滅んだ。

ルネサンス期にはミシェル・ド・モンテーニュが活躍し、『エセー』を著してその中でアメリカ大陸アフリカの住民を擁護した。しかし、モンテーニュの非西欧世界への視線は非西欧を「文明」として捉えることはせず、のちのルソーに先んじて「高貴な野蛮人」として扱うに留まった。

宗教改革や対抗宗教改革後の17世紀にはジャンセニスムガリカニスムが隆盛を迎え、ブレーズ・パスカルジャック=ベニーニュ・ボシュエらが活躍し、それぞれの立場からカトリック信仰を擁護した。また、『方法序説』を著したルネ・デカルトによって近代哲学が成立した。

18世紀には信仰よりも理性を重視する啓蒙思想が発達し、ジャン=ジャック・ルソーシャルル・ド・モンテスキューヴォルテールフランソワ・ケネーらが活躍した。これらの思想家は儒教の影響などもあって、それまでのキリスト教会が担っていた神聖な権威よりも理性を重視する合理主義的な考察を進め、君主による絶対主義を否定するアメリカ独立革命フランス革命の理論的支柱となった。しかし、同時に啓蒙主義によってもたらされた合理主義は植民地サン=ドマングや、18世紀末から19世紀末にかけて啓蒙思想を理論的支柱として独立したアメリカ合衆国ラテンアメリカ諸国において、理性を持たない「半人間」という扱いをうけた黒人アメリカ先住民インディアンインディオ)を、「より理性的な」白人が合理的に奴隷化し、収奪することを合法化する思想ともなった[91]


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