現在、それらの島々の中でも最も早く発見・植民されたと考えられているのはマルケサス諸島である。古代のポリネシア人たちはマルケサス諸島を東ポリネシア海域の根拠地とし、ここからラパ・ヌイやハワイ諸島、タヒチ島、トゥアモトゥ諸島、アオテアロアなどに拡散していったとの見方が、今のところ最も有力である。 1595年にスペイン人のアルバロ・デ・メンダーニャ・デ・ネイラが南米のペルーから出航し、マルケサス諸島の4島に次々に上陸した。1606年にはポルトガルの航海者がトゥアモトゥ諸島のハオ島に到着している。タヒチ島には、1769年イギリスの航海者サミュエル・ウォリスがヨーロッパ人として初めて来航した。続いて1786年にはフランス人のルイ・アントワーヌ・ブーゲンビルがタヒチ島を訪れており、1769年にはジェームズ・クックもタヒチ島に訪れている。ちなみに、日本人が初めて来航したのは、1804年、津太夫らの漂流者4人がロシアのナジェジタ号でマルキーズ(マルケサス)諸島に碇泊した時である。 1788年にクックの元航海長だったウィリアム・ブライ船長のバウンティ号が、西インド諸島の奴隷の安い食料品としてパンノキ採集のためにタヒチ島に訪れている。しかし、そこでバウンティ号の反乱事件が起きる。 パンノキを採取し、タヒチ島から西インド諸島のジャマイカへ向かう途中、航海士フレッチャー・クリスチャンを始めとする、ブライ船長のやり方に対して不満を持っていた十数人の乗組員が太平洋上で反乱を起こしたのである。彼ら反乱者達はバウンティ号を乗っ取って、タヒチ島に戻り、そこでタヒチ人の男女数人を連れてゆき、誰にも見つからない、どこか遠くの無人島に住み着こうとし、1790年に無人の孤島ピトケアン島にたどり着き、住み着いた。 タヒチ島は1791年頃よりポリネシア系のポマレ王朝によって支配されてきたが、1842年に女王ポマレ4世がフランスの圧力に屈し、タヒチ島とモーレア島をフランスの保護領とする条約に署名。1880年のポマレ5世の主権譲渡への署名によりタヒチ島はフランスの植民地となり、以降、フランスは本格的にタヒチ島に進出していった。 第二次世界大戦中にフランス本国がナチス・ドイツに占領されると、自由フランス側につき、連合国に協力した。 1949年にフランス海外領土に昇格し、1957年に大幅な自治権を獲得。 一時自治権の拡大により国連非独立地域リストから削除されたが、ナウル、ツバル、ソロモン諸島によって国連総会に提案され、2013年5月18日に再びリストに掲載されることが決議された。 ムルロア環礁やファンガタウファ環礁では、フランスによる核実験が1966年から1996年まで193回(空中実験と地下実験を合わせて)行われていた。 フランス政府は核実験の安全性を説明してきたが、2010年に核実験の被ばくによる健康被害を認めて被害者に補償する法律を施行。しかし2016年時点で、約1000件の申請のうち補償が認められたのは約20件と僅かにとどまった。同年、フランソワ・オランド大統領がポリネシアを訪問した際には、被害者への補償を見直すことを表明した[3]。 2013年にフランス政府が機密解除した核実験関連文書によれば、1974年に行われた核実験「サントール」だけでも、当時のフランス領ポリネシアのほぼ全人口に相当する約11万人が汚染されていたと推定されている[4]。 フランス領ポリネシアには118の島があり、うち67の島に人が住んでいる[5]。総面積は4,167km2(石川県とほぼ同じ)で、250万km2の範囲の海域に多数の島が散らばっている。フランス領ポリネシアに含まれる島はソシエテ諸島(タヒチ島、モーレア島、テティアロア島、フアヒネ島、ライアテア島、タハア島、ボラボラ島、マウピティ島、ツパイ島など)、オーストラル諸島(トゥブアイ諸島、バス諸島 キリバスのライン諸島とは同じ標準時を採用しているように見えるが、ライン諸島がUTC+14であるのに対し、フランス領ポリネシアはハワイ諸島と同日同時刻のUTC-10であるため、キリバスよりも日付が1日遅れることになる。ちなみにフランス領ポリネシアの標準時は、日本時間の19時間遅れ(マルキーズ諸島のみ18時間半遅れ)、フランス本国の11時間(本国が夏時間のときは12時間)遅れである。
ヨーロッパ人の来航
バウンティ号の反乱
フランスによる植民地化
核実験と住民らへの補償
地理フランス領ポリネシアの各諸島
政治フランス領ポリネシア議会詳細は「フランス領ポリネシアの政治
大統領の代理人として、高等弁務官(英語版)が配置されている。行政執行については自治大統領(英語版)率いる閣僚評議会が担っている。フランス領ポリネシアは三人の議員を国民議会(下院)に送り、一人目はパペーテと北東郊外の2コミューンを、二人目はモーレア島、ガンビエ諸島とマルキーズ諸島の全体を、三人目はリーワード諸島とパペーテの南東郊外の全体を代表している。フランス領ポリネシアはまた、元老院(上院)に二人の議員を派遣している。防衛はフランス軍が行う。 2002年の国勢調査によると、総人口24万5,405人のうち、83%がポリネシア人、12%がヨーロッパ人、5%が東アジア人となっている(東アジア人の多くは華人)。また、タヒチ1島だけで全人口の69%を占める。首府パペーテの都市圏は12万7,635人の住民を有している。 ソシエテ諸島(タヒチ島など)ではタヒチ語、マルキーズ諸島ではマルキーズ語、トゥアモトゥ諸島ではトゥアモトゥ語、ガンビエ諸島ではマンガレバ語、オーストラル諸島ではオーストラル語、ラパ島ではラパ語が話される。
住民
言語