フランス領ギアナ
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1667年ブレダの和約により、ギアナをネーデルラント連邦共和国(現:オランダ)、イングランド王国と分割。その後も入植は続いたが、風土病で多くの死者を出した。

18世紀末、フランス革命直後のフランス立法府は、ギアナでの流刑地の建設に着手した。19世紀から20世紀半ばまでに、政治犯を中心に囚人がギアナに送られ、「呪われた土地」あるいは「緑の地獄」などと呼ばれていた。特に沖合いにある、流刑島のディアブル島は、その名の通り「悪魔の島」として知られる。1809年に一時ポルトガル王国に占領されるが、1814年のパリ条約により返還され、フランスがギアナの領有を保っている。1850年代、フランス国内の政治犯を悪魔の島に移送したことをはじめ、第二次世界大戦時まで重罪人が収監された流刑植民地として広く知られた。1858年から1900年まで、ゴールドラッシュが起こり、2万人以上が黄金を求めてやって来たため、ギアナの人口は急増した。1946年3月19日、フランスでの行政上の区分は、植民地から海外県に変更された。

1968年より稼働したフランス国立宇宙研究センターギアナ宇宙センターがあり、アリアン4アリアン5を打ち上げるなど、フランスによる宇宙開発の拠点となっている。
政治カイエンヌの街並み詳細は「フランス領ギアナの政治(英語版)」を参照

フランスの海外県であり、欧州連合(EU)圏内においてヨーロッパ大陸外に位置する最大の地域であり、北アフリカにあるスペインセウタメリリャと並んで、EU圏内で島嶼を除いたヨーロッパ大陸外に位置する三地域の内の一つである。県都はカイエンヌ。元首はフランス大統領で、地方議会の議長が行政長官となっている。二つの地域に分かれ、19人からなる普通議会と34人からなる地方議会があり、議員は共に選挙によって選出される。22のコミューンがある。

フランス領ギアナは二人の議員国民議会下院)に送り、一人はカイエンヌとマコウリアの2コミューンを、もう一人は残りのフランス領ギアナの全体を代表している。後者の選挙区はフランス共和国の陸地の中では最も大きい。フランス領ギアナはまた、元老院上院)に一人の議員を派遣している。

フランス領ギアナが慢性的に抱える問題は不法移民ブラジルスリナムからの金の盗掘者の増加である。フランス領ギアナとスリナムの国境は熱帯雨林の間を流れるマロニ川で、国家憲兵隊フランス外人部隊によるパトロールが困難である。スリナムとの国境線は議論を呼んでいる。
2010年から2015年まで議会が採用した旗

フランス領ギアナ議会にて2010年1月29日から2015年まで採用された旗がある。この旗は、特にパン・アフリカ主義者により支持されている。しかし、フランス政府はその間も承認せず、対外的な公式旗はフランスの国旗の三色旗である[1]
地方行政区分フランス領ギアナの地方行政区画。

フランス領ギアナは、二つの地域、19のカントン、22のコミューンからなる。Arrondissement of
Saint-Laurent-du-MaroniArrondissement of
Cayenne

Awala-Yalimapo

Mana

サン=ローラン=デュ=マロニ

Apatou

Grand-Santi

Papaichton

Saul

Maripasoula

Camopi

Saint-Georges

Ouanary

Regina

Roura

Saint-Elie

Iracoubo

Sinnamary

クールー

Macouria

Montsinery-Tonnegrande

Matoury

カイエンヌ

Remire-Montjoly


主要都市詳細は「フランス領ギアナの都市の一覧」を参照

カイエンヌ

クールー

サン=ローラン=デュ=マロニ

地理詳細は「フランス領ギアナの地理(英語版)」を参照

フランス領ギアナは沿岸部と内陸部の二つに区分される。沿岸部には人口の大多数が居住しており、内陸部には熱帯雨林のために近づきがたい。北緯4度より北は標高100m以下の低地が、それよりも南は丘陵地が広がる。最南部はギアナ高地となっている。中央部を南北に分水嶺が走り、行政区も2つに分かれている。最高峰は、ベルヴューデリーニニ山(851m)。


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