イギリスは1791年に、組み込んだケベック植民地をそれぞれ独自の議会を持つアッパー・カナダとローワー・カナダに分割統治する体制に変更した[6]。この二つの政体は1837年に勃発したローワー・カナダの反乱(英語版)が鎮圧された後、1841年に単一の政体に統一された[7]。1840年代に入ると、フランス系カナダ人は少数派になったばかりでなく、経済的弱者として苦しむようになる[8]。
1840年代から1930年代にかけて、約90万人のフランス系カナダ人がカナダを去ってアメリカ合衆国に、とりわけニューイングランド地方に移住した(ケベックからのディアスポラ(英語版))[9]。
1969年に発効した公用語法(英語版)によって英語とフランス語の二言語が公用語と規定され[10]、1974年にはケベック州でフランス語を唯一の公用語とする宣言が行われた[11]。また、ニューブランズウィック州、ユーコン準州、ノースウエスト準州、ヌナブト準州ではフランス語は公用語の一つとなっている[12]。
人口と分布(英語版)に基づく。
州または準州フランス系
住民の割合フランス系
住民の人口
ケベック州[13]29.2%2,256,600人
オンタリオ州[14]10.8%1,363,370人
アルバータ州[15]11.1%396,230人
ブリティッシュコロンビア州[16]8.5%369,425人
ニューブランズウィック州[17]27.2%199,970人
ノバスコシア州[18]17.0%154,130人
マニトバ州[19]12.6%147,810人
サスカチュワン州[20]12.2%122,655人
プリンスエドワードアイランド州[21]21.1%28,950人
ニューファンドランド・ラブラドール州[22]5.7%28,845人
ユーコン準州[23]13.1%4,380人
ノースウエスト準州[24]9.4%3,820人
ヌナブト準州[25]3.3%1,045人
文化ケベック州の「一時停止」の標識
カナダ東部の沿岸地域のアカディア(ノバスコシア州、ニューブランズウィック州、プリンスエドワードアイランド州を含む地域)に定住したフランス人入植者の子孫はアカディア人(英語版)と呼ばれている[26]。このアカディア人とフランス系カナダ人の圧倒的多数を占めるケベック人(英語版) はそれぞれ相互に自分達とは異なる民族と考えており、民族の祭日は別の日に祝うし、別々の民族の旗も持っている[27]。また、ケベック人とそれ以外のフランス系カナダ人(アカディア人も含む)では経済的・政治的利害が大きく違うために両者間の対立も存在する[27]。
カナダ・フランス語はカナダで使用されるフランス語の言語変種を指す包括的用語である[28]。ケベック・フランス語、アカディアン・フランス語(英語版)、メティス・フランス語(英語版)、ニューファンドランド・フランス語(英語版)の主に4種の方言が存在する[29]。特にケベック州においては約600万人がフランス語を母語としており、対して英語を母語とするケベック人(英語版)は約60万人に過ぎない[30]。カナダの国民の約85%が英語を話し、約31%がフランス語を話す[31]。
フランス系カナダ人が信仰する宗教としてはローマ・カトリックが支配的である。フランスの宰相、リシュリューは1627年以降にカトリック教徒以外をヌーベルフランスへ植民させない方策を推進している[32]。フランス系カナダ人の日常生活に密接に関わっていたカトリックの影響力も1960年から「静かなる革命」が進行した結果、大幅に低下した[33]。
旗
ケベック人の旗
アカディア人(英語版)の旗
フランコ・アルバータン(英語版)の旗
フランザスコワ(英語版)の旗
フランコ・コロンビアン(英語版)の旗
フランコ・マニトバン(英語版)の旗
フランコ・オンタリアン(英語版)の旗
フランコ・ユーコンネ(英語版)の旗
フランコ・ヌナボワ(英語版)の旗
フランコ・テノワ(英語版)の旗
フランス系カナダ人の著名人ディオンヌ家の五つ子姉妹