フランス外人部隊
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総兵員数は約8,360人である[1]
概要FA-MAS小銃で着剣捧げ銃の敬礼を行う外国人部隊兵。同部隊の創設以来、180年以上に及ぶ歴史の中で、のべ60万人以上が軍務についた。

1831年に創設されて以来現代まで一貫して存続している。「フランス外人部隊」とも呼ばれる。

フランスに限らず、ヨーロッパにおいては戦争の際にスイス人など外国人の傭兵が活躍することが多かったが、近代になるとほとんどの国で軍隊は徴兵制度による国民軍の形態を採るようになった。これはフランス革命戦争およびナポレオン戦争でフランスの国民軍が、他国の寄せ集め職業軍人集団である傭兵隊に対し圧倒的な強さを見せたためである。

「国民軍」を生み出したフランスにおいて外国人による純然たる職業的戦士集団から構成される外国人部隊の設立に至った経緯は、皮肉にもナポレオン戦争によって創設・普及した国民軍の一員として戦った多数の青壮年男性が命を落とし、その後も産業革命による生活水準の向上と男性の生産年齢人口の激減、男女比の歪みが響いて人口が伸び悩んだことで兵力の確保に問題を抱えるようになっていたことに起因する。さらに1830年から始まったアルジェリア征服戦争では、征服予定地のアルジェリアへ派遣されたフランス国民軍の間に非常に多くの死傷者を出していたため、国民の非難を受けることを怖れた政府は、それまでの傭兵とは異なった、自国軍の士官によって外国人兵士を指揮する、正規軍と同じ地位を与えられた部隊[注釈 1]の設立に踏み切った。かつてワーテルローの戦いで総参謀長を務めたこともあるスールト軍事大臣の取り纏めで、1831年3月10日、ルイ・フィリップ国王の署名によって誕生した。

外国人部隊は、当初フランスの北アフリカにおける植民地支配・権益確保を主任務にしていたが、後には他地域・他任務へも利用されることになる。長らく本部はフランス最初期の植民地であったアルジェリアシディ・ベル・アベスにあったが、1962年アルジェリアが独立してからはコルシカに移転[2]している。
沿革第1外国人連隊と第2外国人歩兵連隊の軍旗(2003年撮影)
19世紀

設立初期の外国人部隊は、設立の経緯から、アルジェリアで活躍し、その後もアルジェリアに駐屯することが多かった。

その後のナポレオン3世の第二帝政下で、クリミア戦争イタリア統一戦争メキシコの内政への武力介入などに派遣され、多方面で戦争を繰り広げ、フランス外国人部隊は各地の戦闘で活躍した。後にアンリ・デュナン赤十字を創設するきっかけとなった1859年ソルフェリーノの戦いでは、第2外国人連隊がオーストリア軍を相手に敢闘した。1863年メキシコカマロンの戦いではダンジュー大尉率いる部隊がメキシコ軍との間で行った外国人部隊史上に残る全滅を覚悟しての激戦は、メキシコ軍の司令官であったミラン大佐 (es) に「こいつらは人間ではない、鬼だ」と賞賛された。

普仏戦争敗戦後のパリ・コミューンを鎮圧したヴェルサイユ軍においても、その一部として投入された外国人部隊3個大隊が中心的役割を果たし、清仏戦争でもインドシナ派遣軍に参加した外国人部隊が清朝軍と戦闘を交えた。

これ以外にもスーダンダホメー(ベナン)、マダガスカルカサブランカ(フランス領モロッコ)と植民地での活躍は数え切れない。
二つの大戦

1914年第一次世界大戦が勃発すると、100ヶ国を超える国の国民が外国人部隊に志願し、とくに初期にはリソルジメントの英雄ガリバルディの孫が率いる「ガリバルディ旅団」がドイツ軍相手に奮戦した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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