フランソワ・ミッテラン大統領の治政下で企業の国有化が進められ、経営陣にENA出身者が多く送り込まれたことから、経済界でもENA出身者の影響力が高まった[2]。
合格者の多くは、パリ政治学院などグランゼコールの中でも難関校の卒業生によって占められ、長い受験勉強を乗り切れる経済力がある家庭の子弟が多い。このため、格差是正を求める黄色いベスト運動への対応として、マクロン政権が改革の対象とした。ENA廃止だけでなく、グランゼコールを目指す学生用の準備クラスに低所得世帯の成績優秀者枠の創設も計画されている[2]。
1991年にストラスブールのサント=マルグリット通り (rue Sainte-Marguerite) 1番地に移転後も、およそ10年間、パリ7区の創設の地、サン=ペール通り (rue des Saints-Peres) 56番地、及び同区ユニヴェルシテ通り (rue de l'Universite) 13番地にも校舎があった。
ENAストラスブール校には毎年、選抜試験により、初期養成コースにおよそ80人から100人弱の学生を受け入れている。学生の構成は、ディプロム修了の学生と共にディプロムに加えマスター修了の学生、そして総勢120名ほどの留学生となる。パリ校 (6区オプセルヴァトワール通り2番地、2 avenue de l'Observatoire) では、2500人以上の公務員や経営者幹部などが短期間の生涯学習枠で登録している。
ここを優秀な成績で卒業できない学生達には、西アフリカの諸国でのハイペイドの重要な公職に付けるというフレンチエリートの為の "job creation Program" が存在し、これらの諸国は独立後もフランスの影響下にあるが、独立の自覚が芽生え始めたこの美味しい "就職先" からは、それらのフレンチエリートは不要と言われつつあるのが実情である[要出典]。 この学校は、実力ある学生たちを受け入れ、この学校出身者は、フランスの高等公務職の地位に就く権利を有する。また一般的に、国家公務の中心の貴重なキャリアを保障される。俗に「エナ帝国」などと呼ばれる所以である。 ENAはまた、行政学研究の役割を次のように担っている。 1945年の設立以来、ENAはその二つの国際課程の中で、2000人以上の各国からの留学生を卒業させた。各学年は80人から100人当たりのフランス人学生につき、30人余りの30ヶ国に及ぶ外国人留学生を抱え、同一の養成がなされる。 ENAはいくつかの国とパートナーシップを結んでいる。また、学校間や国家間の援助協定を結んでいる(マグレブ諸国、中華人民共和国、ポーランド、タイ、シリアなど)。協定などにより、行政管理や公的管理運営についてのエンジニア講習を行っている。日本からも財務省、経済産業省、外務省、警察庁などから新人官僚が定期的に留学している。 1945年の創立以来、ENAは5600名のフランス人と2600名の外国人を世に出した。詳細は「:fr:Liste d'eleves de l'Ecole nationale d'administration
役割
養成
研究
公職における主な争点について、一連した討議の展開。
現在検討されている諸問題における、エナ学生の研究への助成。
海外の行政システム比較を推進。
海外交流
著名な出身者等シラク大統領オランド大統領
大統領
ヴァレリー・ジスカール・デスタン(元フランス大統領)
ジャック・シラク(元フランス大統領)
フランソワ・オランド(元フランス大統領)
エマニュエル・マクロン(現フランス大統領)
首相
リオネル・ジョスパン(元フランス首相)
アラン・ジュペ(元フランス首相)
エドゥアール・バラデュール(元フランス首相)
ミシェル・ロカール(元フランス首相)
ローラン・ファビウス(元フランス首相)
ドミニク・ドビルパン(元フランス首相、元フランス外務大臣)
エドゥアール・フィリップ(元フランス首相)
ジャン・カステックス(前フランス首相)
その他
エマニュエル・マクロン大統領ジャック・アタリ(元大統領顧問)
ジャック・アタリ(ミッテラン元大統領など政府顧問、経済思想家)
エリザベート・ギグー(元フランス法相)
ジャン=ベルナール・レイモン(元フランス外務大臣)
ジャン=クロード・トリシェ(欧州中央銀行総裁、フランス銀行総裁)
ユベール・ヴェドリーヌ(元フランス外務大臣)
エルヴェ・ド・シャレット(元フランス外務大臣)
パスカル・ラミー(元欧州委員会貿易政策担当委員、現WTO事務局長)
ミシェル・カムドシュ
アントワーヌ・ヴェイユ(フランス語版)(財政監察局財政監査官などの高級官僚、シモーヌ・ヴェイユ (政治家)の夫)
シモン・ノラ(財政監察局財政監査官などの高級官僚、元首相秘書官)
ドミニク・ペルベン(元フランス海外領土大臣)
クララ・ゲマール(フランス語版)(元対仏投資庁(フランス語版)長官、GEインターナショナル副社長, 2009年- 、下記エルヴェの妻)
エルヴェ・ゲマール(元経済・財政・産業大臣)
ヴァレリー・ペクレス(現イル=ド=フランス地域圏知事, 2015年- 、元経済・財政・産業大臣, 2011-2012年)
ミッシェル・サパン(フランス語版)(元経済・財政・産業大臣, 2014-17年)
ルイ・ドラマール(フランス語版)(駐レバノンフランス大使) - 1981年、ベイルートの大使公邸近くで暗殺された(「シリア情報部によるフランス大使暗殺」)
ベルナール・ド・モンフェラン(フランス語版)(駐日フランス大使, 2003-2005年)