若い映画作家の台頭は、フランスだけに留まる現象ではなかった。ほとんど同時期に世界中にその影響を波及させ、若い世代の映画作家たちの活動が各国で次々に起こった。結果、1960年代は世界的に映画の変革期となった。 ジャン=ジャック・ベネックスが『ディーバ』(1981)を完成させたとき、80年代のフランス映画ブームが始まったと言える。ベネックスの『ベティ・ブルー』(1986)、リュック・ベッソンの『グラン・ブルー』(1988) 、レオス・カラックスの『ポンヌフの恋人』(1991)などBBCと呼ばれる3人が製作を始めた。 1991年、ジャン・ピエール・ジュネが『デリカテッセン』を監督、続いて1995年に『ロスト・チルドレン』を製作。双方ともファンタジー色の強い作品であった。 1990年代半ば、ポーランド出身のクシシュトフ・キェシロフスキが「トリコロール3部作」と名付けられた『トリコロール/青の愛』、『トリコロール/白の愛』、『トリコロール/赤の愛』を完成させた。 また、1995年には若手監督マチュー・カソヴィッツがフランスにおける人種問題を扱った作品『憎しみ』でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞。 ハリウッドでしばらく活動したジュネは2001年にフランスに戻り、マチュー・カソヴィッツとオドレイ・トトゥ主演のファンタジー映画『アメリ』を完成させ、この作品は日本でも大ヒットした。またこの作品の影響でクレームブリュレブームが起きた。 2000年以降のヒット作にはマチュー・カソヴィッツの『クリムゾン・リバー』(2000)、ジェラール・クラヴジックのアクション・コメディ『TAXi2』(2000)、コリーヌ・セローの『女はみんな生きている また、リュック・ベッソンプロデュースの作品群や、オリヴィエ・メガトンの『レッド・サイレン』(2002)、エンキ・ビラルの『ゴッド・ディーバ』(2004)など、海外市場を想定した全編英語の作品も作られるようになる。 2011年の『最強のふたり』はフランスでの歴代観客動員数で3位(フランス映画のみの歴代観客動員数では2位)となる大ヒット作となった。日本でもアメリカを抜き興行収入が16億円を超え、日本で公開されたフランス語映画の中で歴代1位のヒット作となった。
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
映画祭・映画の賞
カンヌ国際映画祭
セザール賞
フランス映画祭 - ユニフランス主催。1953年に第1回が開催された。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 中条省平は『フランス映画史の誘惑』pp.76-99で日本だけが絶大な影響を受けたと書いている。20年代の印象派と30年代の「詩的レアリスム」の違いは後者が言葉をもったことだという。台詞と脚本の重要性に結びつき、「詩的レアリスム」とはフランスの演劇的伝統に通じるシナリオ重視の映画だったという。
参考文献
飯島正『フランス映画史 改稿版』(白水社 1956年)
田山力哉編『フランス映画史』(芳賀書店 1974年)
『世界の映画作家29 フランス映画史』(キネマ旬報社 1975年)
ジョルジュ・サドゥール
四方田犬彦『映画はもうすぐ百歳になる』(筑摩書房 1986年)
中条省平『フランス映画史の誘惑』(集英社新書 2003年)
外部リンク
⇒フランス映画通信 - フランス映画の専門サイト。作品評、監督・俳優名鑑、劇場公開情報など
⇒フランスネットシネマ -日本公開最新フランス映画情報など
⇒フランスネット -フランス映画俳優&監督動画インタビュー
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