フランシスコ_(ローマ教皇)
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ベネディクト16世が2013年2月28日をもって辞任したことを受け、その後継を選ぶために同年3月12日より実施されたコンクラーヴェにおいて、翌3月13日、新教皇の選挙権を持つ80歳未満の枢機卿115名による5回目の投票で新教皇に選出された[39]。コンクラーヴェ開始前、ベルゴリオはすでに76歳と高齢であり、マスコミからは新教皇の有力候補とは見做されていなかった。そのため、新教皇としてベルゴリオの名前が発表された時には、各国のマスコミは大きな驚きをもって彼の名前を報道した。彼はマスコミの事前予想を完全に覆し、新教皇の選出に必要とされる枢機卿全体の3分の2を大きく上回る90票以上の得票をもって選出されたという[44]

教皇の紋章銘であるラテン語の“Miserando atque eligendo”(憐れみをかけ、そして選び出す)は、聖ベーダ・ヴェネラビリスの説教の言葉から取られている。聖書時代には蔑まれていた徴税人という職業に就いていたマタイに関し、聖ベーダは次のように解説している。「イエスは徴税人(マタイ)を見つめて『憐れみ、そして選ばれ』、わたしについて来なさいと言った」[45]。つまり、イエスは慈しみ(miserando)、そしてマタイを選んだ(eligendo)わけだが、このマタイの召命に関して、それは「因習的な感覚から離れた、慈悲に基づく人間への深い理解からだった」と新教皇は説明している[46]。マタイの召命にまつわる紋章銘が選ばれたのは、1953年の聖マタイの祝日に、17歳の青年ベルゴリオが修道生活への召命を受ける特別な体験が深く関係しているという[47]

フランシスコは史上初のアメリカ大陸出身のローマ教皇であり、史上初のイエズス会出身の教皇である[48]。長らく日本で教鞭を執っていて、就任当時はイエズス会総長を務めていたアドルフォ・ニコラスは「我々がいま知ることになった教皇の『フランシスコ』という名前は、貧しい人々への近さという福音的精神、素朴な人々との一体感、そして教会刷新への献身を想起させるものである」とし、その「質素、謙虚さ、豊富な司牧経験と霊的深さ」を称賛して[49]、イエズス会初の教皇選出を歓迎した。なおイエズス会ということで修道司祭出身者が教皇に就いたわけだが、これはグレゴリウス16世以来167年ぶりであった。

さらにヨーロッパ以外の地域の出身者がローマ教皇に就くのは、シリア出身の第90代のグレゴリウス3世(在位:731年3月18日 - 741年11月28日)の死去以来、1272年ぶりである[39]。また初めて「フランシスコ」を名乗るローマ教皇でもある。イタリア系アルゼンチン人であるベルゴリオ枢機卿[50]が新教皇に選ばれたのは、「新教皇はヨーロッパ以外の出身者を」という時代の要請と「新教皇はヨハネ・パウロ1世以来35年ぶりにイタリア人から」というバチカンのおひざ元イタリアの願望の折衷案ではないかとする指摘がある。この選挙結果に関しては、カトリック教会の国際化の表れであり大きな変化だと捉える意見と、アルゼンチンは南米で最もヨーロッパ的な国でありフランシスコはヨーロッパの伝統を継承した白人であるので、ベルゴリオが教皇に就任しても、ヨーロッパ人の伝統的な宗教としてのカトリック教会の性格に変化はないととらえる二つの対極的な意見がある[50]
ローマと世界に向けて2013年3月のコンクラーヴェの後、サンピエトロ寺院のバルコニーに教皇として初めて公に姿を現したフランシスコ。先2代の教皇のように臙脂のケープを着用していない。金の刺繍のストラも着用していないが、向かって右奥に控える儀典長グイド・マリーニが所持しており、このあとの祝福のときだけ着用している。

またベルゴリオは、教皇の辞任という600年ぶりの異例の中で開催されたコンクラーヴェで選出された教皇である。このような「異例ずくめ」は、教皇選出後に信徒に向かっての第一声「ウルビ・エト・オルビ」(ローマの聴衆と全世界に向けて授ける祝福)にも表れた。まず彼は人々の前に純白のケープ付きキャソックカロッタのみ、すなわち「普段着」のまま現れたのである。

「兄弟姉妹の方々、こんばんは。…ご存じのようにコンクラーヴェの義務はローマに司教を与えることですが、兄弟である枢機卿団は、ローマの司教を得るために世界の果てまで行ってきたようです」「何よりもまず、名誉教皇ベネディクト16世に主の祝福と聖母のご加護がもたらされるように祈りましょう」[51][52]

と、彼は、自分がヨーロッパ以外の出身であることに言及し、さらに辞任した前教皇への気遣いを示した。

「私たちはこのローマ教会の旅路を、兄弟愛と愛と信頼とによって、司教と信徒とが一緒になって歩み始めます。大いなる兄弟愛を以って世界中で共に祈り合いましょう。この道は必ずや新しい福音宣教の実を結びます」と司教と信徒との協働を宣言した[51][52]

さらに「 いまここに、私は皆さまに祝福を与えたいと思います。ですがその前に、皆さまにお願いがあります。新しいローマ司教たる私が人々を祝福する前に、主が私を祝福してくださるように皆さまに祈ってほしいのです。これは新しいローマ司教の祝福を求める人々の祈りであります」と信徒に祈りを求めることで「信徒に支えられる司教」という自分の立場を明らかにした[51][52]。これに応じたサンピエトロ広場の信徒らとともに頭を垂れ、沈黙の祈りのうちに主からの祝福を受けた。

ここでストラをつけて、「それでは、(信徒の)皆さまと全世界の善男善女(の皆様)に祝福を与えます」[51][52]と最初の祝福を与えた。祝福のあとで再びマイクを求め、「明日は私はマリアのお祈りに行きます。皆さまはお体を気を付つけて。おやすみなさい」と締めくくった。サン・マルタ館への帰路では枢機卿団のマイクロバスに同乗し、車内では「あなたがたの為した行い(自分の選出)を神がお赦しになるように」と枢機卿団に語りかけた[53]

翌3月14日に「教皇フランシスコ」がしたことは前日の宣言通りサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂への巡礼であった。その帰路、コンクラーヴェ前の宿泊に使用していたホテルに立ち寄って荷物を引き取ったが、その際に代金の支払いを自腹でしている(立て替え払いが慣例であるが、聞き入れなかったという)。また、午前中にイエズス会本部に直接電話をかけアドルフォ・ニコラス総長に教皇選出のお祝いの手紙の返礼をした[54]

メディアに対しての初の会見では、「私は貧しい人々による貧しい人々のための教会を望む」と語った[55][56]

3月17日、選出後初めての日曜日、バチカン市国内の聖アンナ教会(イタリア語版)の説教において、「姦通の女」(ヨハネ8:1-11)の個所を引用し、「イエスは蔑みの言葉も、断罪の言葉も言いません。わたしたちが聞くのは、ただ愛の言葉、回心に招く憐れみの言葉だけです」と述べ、他者の振る舞いを非難したり断罪することではなく、「神の慈しみ」こそが世界を変えると力説した[57]。正午には教皇として日曜日恒例の「お告げの祈り」に臨み、サン・ピエトロ広場に集まった15万人の信徒に「神は慈悲を与え続ける … 神は慈悲を与えることにうんざりすることはない。うんざりするのは我々のほうだ」とユーモアを交えながら慈悲と寛容について説いた[58]

同日、フランシスコは9言語のTwitterアカウントを用いて「親愛なる友よ、心から感謝します。私のために祈り続けてください。教皇フランシスコ」と投稿した[59][注釈 7]。新教皇のフォロワー(読者)は、2013年4月17日時点で、英語版、スペイン語版を中心に合計で500万人以上にのぼった[60][61]


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