前教皇のベネディクト16世が厳格な態度と博識を駆使した重厚な雰囲気の説教をしていたのに対し、新教皇フランシスコは、親しみやすい雰囲気の中で分かりやすい言葉遣いで説教をすることから、バチカンは教皇の交代から「24時間で劇的に変わった」と『ニューヨーク・タイムズ』は報じている。また、生涯のほとんどをアルゼンチンで過ごし、伝統色の強いアルゼンチンの教会の近代化に成功したとも言われている[53]。スイス人のイエズス会司祭アルベール・ロンシャン氏は「新教皇は左派の人間ではないことを知るべきだ。優しさだけでは10億人の司牧は不可能であり、時には鉄拳をふるうこともある」と言い、人工妊娠中絶反対などの発言がそれらの現れであるとした。フリブールの国際カトリック通信社(APIC)のモーリス・パージュ氏は「新教皇は前教皇の方針の継承を表明した。改革は教会統治の分野であろう。…ベネディクト16世は世界に対して悲観的であったが、新教皇は楽観的だ。変わるとすれば世界への関わり方だ。これはヨハネ・パウロ2世着座の時を想起させる」と述べた[63]。
しかし、ベネディクト16世が典礼の伝統を重んじ[270][271]、ラテン語典礼の復活を唱える超保守派聖ピオ十世会の司祭たちに対する破門を解除したりした姿勢とは「大きく異な」り[272][273]、フランシスコは、反動的な主張を掲げる「伝統派や原理主義者たち」を「主に不実な者」と呼んで、これら復古主義とは明確な一線を引く姿勢を明らかにしている[257]。
ヘブライズムの伝統に造詣が深く、大司教時代にラビ(ユダヤ教の聖職者)のアブラハム・スコルカ(スペイン語版)との『天と地の上で』(2010年)と題する共著がある[274]。
アルゼンチンでの政治的立場
キルチネル政権との関係アルゼンチン司教協議会でキルチネル大統領と面会するベルゴリオ (2010年)
アルゼンチンの大統領クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネルとその夫で前任者のネストル・キルチネルの2人とベルゴリオとの間には、長年にわたり緊張関係が存在した。2人の大統領は共にリベラルな政策の推進者として知られ、学校での性教育の推奨、公立病院での避妊具の配布、性同一性障害者の性別変更の許可などを次々と実現し、2010年には、南アメリカで初めて同性結婚が合法化されている[275]。
2003年にアルゼンチンの大統領に選ばれたネストル・キルチネルは、翌年の独立記念日にブエノスアイレスの大聖堂で催されたベルゴリオの司式によるミサに出席した。そのときベルゴリオは、大統領に対して、一層の政治的な対話を要求し、大統領の不寛容や自己顕示や声高な自己主張を批判した[276]。そのためネストル・キルチネルは、翌年からミサに出席しなくなり、他の場所で独立記念日を祝うようになった[277]。以来ネストル・キルチネルは、ベルゴリオを政治的なライバルとさえ見做すようになった[278]。2007年の大統領選において当選したネストル・キルチネルの妻クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネルとの間にも緊張した関係は継続した。ベルゴリオは、2008年の農業分野による政府内紛争の過程で政府がデモ隊を支援した際に、全国民に対して和解と平和を呼びかけた[278]。
キルチネル夫妻とベルゴリオの関係が緊張の頂点に達したのは、2010年の同性結婚合法化(7月15日成立)の時であった[278]。2010年6月22日、ベルゴリオはブエノスアイレスのカルメル会の修道女たち宛てに文書を発行し、「これはあなたたちの戦いではなく、神の戦いである」(歴代誌下20:15)という聖書の言葉を引用して、議員らが国のために善いことをするようにと祈るよう促した[279][280]。ベルゴリオの同性結婚反対キャンペーンに対し、ネストル・キルチネル前大統領はこれを「圧力」と批判し[281]、教会の姿勢を「中世の異端審問」に属するものであると断じて激しく非難した[282]。
2007年の「アパレシーダ文書」[283]の発表に際し、ベルゴリオは社会問題に言及し(後述詳細参照)、中絶や安楽死は、生命と家族に対する重大な犯罪を促進するものであり、この責任は特に国会議員と政府首脳と医療従事者とに帰するものであると言明した。アルゼンチン政府はこの声明に抗議し、ブエノスアイレス人権大学のギジェルモ・ゲリンは「アルゼンチンの社会問題に関わる教会の診断は正しいが、中絶や安楽死を混ぜ込むことは、少なくとも明確なイデオロギー的違法行為の一例である」と発言した[284]。 2012年4月にブエノスアイレスで開催されたフォークランド紛争30周年追悼ミサで、ベルゴリオは「戦没者と祖国を守るために、他国(イギリス)に強奪され、他国の物となった祖国の一部(フォークランド(マルビナス)諸島)を回復するために戦場に赴いた者のために祈りましょう」と参列者に呼びかけた。フォークランド紛争についてイギリスを批判したことは、キルチネル大統領の共感をよび、大統領はイギリスのデーヴィッド・キャメロン首相に対し、1960年の国連決議を尊重して「19世紀以来の露骨な帝国主義政策をやめるべきだ」という趣旨の公開書簡を送った[285][286]。
フォークランド紛争について